shangri-la
ゆみ58さま


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロゼは、自室のカーテンを開けたとたん飛び込んできた強い陽射しに、おもわず目を閉じる。 
 まだ朝だというのに官舎の庭には木々の影が濃く影を落としている。
 手早く着替えると洗面をすませ、鏡をのぞく。
 まだ若い彼女の肌は化粧をしなくとも白くつややかで透き通っている。
 ほんのりと色の付くルージュだけをひく。
 
「おはよう、ルイ。」
 食堂にはすでに空腹を刺激するよい香りが漂っている。
 キッチンから3人分の朝食プレートを運んできたルイの足取りは踊るようだ。
「おはよう、姉さん。」
「いつも悪いわね。」
「いいのよ。それよりそろそろマーズが来るんじゃない?荷物はできているの?」
「ええ。もう玄関に置いてあるわ。」
「そう。あ、そうだ。彼が来たら食べかけててね。」
 何か用事を思い出したのかルイは奥へ入っていった。
 
 ほどなくタケルがやってきた。
「おはよう、ロゼ。あれ?ルイは?」
「なんか用事があるみたいよ。先食べててって。」
「そうか。うーん。いいにおいだ。」
 ほどよい柔らかさのオムレツにナイフを入れると中からクリームチーズがとろりと出てくる。
 簡素に見えていても気配りのきいた朝食に二人は舌鼓を打っていた。
「おはよう、マーズ。」
「おはよう。お先にいただいてるよ、とっても旨い。」  
「そう、よかった。気をつけていってきてね、二人とも。」
 
 1時間後、タケルとロゼは民間旅客機の中にいた。
 行き先はシャングリラ。
 この大陸の赤道直下の海に面したリゾート地だ。
 
「シャングリラ?何故そんなところへ?」
 昨日のこと、行政府のオフィスでロゼは、ルイに怪訝そうに問いかけた。
「元レジスタンス南部支部の臨時会合ですって。マーズを歓迎したいって言ってきてるの。彼らがみんなでこっちへ来るのは大変でしょ。それにギシン星の美しい自然をマーズに見てもらいたいらしいのよ。」
「そんなこと言ったって、マーズは毎日スケジュールがびっしりよ。」
「そうなのよね、だから私が調整したところによると、明日出発して5日間。これだったら都合がつくわ。どうでもいい、って言ったら怒られるけど、まあ余分な仕事をシェイプすればなんとかなるわ。私って本当に有能な秘書よね。」 
「でも…。」
「地方の復興状態や、レジスタンスの活動跡を彼に見てもらうのもいいと思うわよ。ここで政治家さん達の演説ばかりを聴いているだけが、マーズの仕事じゃないと思うけど。」
「…それも、そうね。」
「じゃ、決まり。とりあえず目立たないように民間機で行ってきてね、チケットとっておくわ。」
 ルイは踊るように踵を返し、部屋を出て行った。
 ロゼはふっとため息をつく。
 あの子の事務処理能力は確かに大したものだわ。
 
 ロゼはまだこの時気づいていなかった。
 ルイはかつてレジスタンスにおいて、屈指の戦略家であり戦術家であった。

 

 

 

 

 飛行機は目的地を前にして降下を始めていた。
 窓をのぞくと瑠璃色の海が眼下に広がっている。
 よほど海が澄んでいるのであろう、珊瑚礁さえもあちらこちらに見てとれる。
 やがて飛行機は緑の濃い半島を回り込み、なめらかに着陸した。
 
 タラップに出たとたん、照りつける陽射しが熱く肌を焼くようだ。
 ルイの指示通り航空会社のカウンターへ行き、手配済みのレンタカーの鍵を受け取る。
 女性係員は愛想良く微笑みながら宿泊先のホテルへの地図をタケルに手渡した。
「よいバカンスを。」
「ありがとう。」
 こういうところではそれが決まり文句なのであろう。
 仕事で来た、と訂正するほどタケルは無粋ではなかった。
 
 もらった地図通り走るとほどなくホテルのゲートに到着した。
 そこから鬱蒼と南国の木々が生い茂る丘を回り込んで、エントランスロビー前の車寄せにたどり着く。
 すかさず花柄のシャツを着たドアマンが爽やかな笑顔で出迎え、車をガレージ係に引き渡す。
 空調の効いたロビーの中央には人工の滝が涼しげに流れ、周囲の大きな柱ごとにセンスよく生花が飾られている。
 チェックインの手続きを終えると、いかにも有能そうなフロントマネージャーが恭しく一通の封書をロゼに差し出した。
「ルイさまからメッセージをお預かりしております。」
「何かしら?」
 いそいで封を開けメッセージに目を通したロゼの顔色がさっと変わる。
「何なんだ!?」
 タケルは、もぎとるようにホテルのロゴ入りの便せんを手にとった。
『元レジスタンス会合は私の勘違いでした。他の予定はすべてキャンセル済み。ご両名は南部戦線跡地視察ということになっているから、帰ってきてもややこしいので、アクシデントと諦めて、どうかごゆっくり。』
 
「やられたわ。」
 二人は顔を見合わせ、同時に軽く吹き出した。
「お部屋にご案内いたします」
 ボーイが二人を先導し、荷物をロビー脇に横付けされたカートに乗せていった。
 
 このホテルはロビーや売店、フィットネスジムなどのある本館と海岸沿いの広大な敷地に点在するコテージタイプの客室で構成されていた。
 宿泊客のプライバシーが守られるため、ギシン星の若いカップル達のあこがれの場所であるらしい。
 そういうことには全く疎いロゼと、まだこの星にきて数ヶ月のタケルに、ベルボーイがカートを運転しながら、さりげなくも誇らしげに教えてくれた。
ここまでくれば予想通りというか、もちろん二人が案内されたのは、吹き上げる海風にたたずむ一軒のコテージだった。

 

 

 

 大きく張り出した屋根は玄関口にも濃い影を作り、そこに踏み込んだとたんに涼しさを感じた。
 南国特有の気候で陽射しは強いが湿気は少ない。
 日陰に入れば心地よい風が、さっと肌の汗を奪ってゆく。
 ボーイが電子キーを操作しドアを開けると、明るく広い空間が視界に入る。
 平屋建ての高い天井には、大きなファンがゆっくりと回り、開け放たれたリビングのドアからは一面に海が見渡せる。
「こちらに荷物を置かせていただきます。ごゆっくり。」
 
 さすがのロゼもこの部屋の様子にうっとりとしていたようで、ボーイの挨拶にも、上の空といった感じである。
 玄関のドアが閉まる音に少し心拍数が上がったのはタケルだけのようだ。
 
 ロゼはさらに他の部屋を探検してようとしている。
 リビングから続くドアを開けるとそこは主寝室であった。
 高い天井からは涼しげなレースの幕がつるされ、キングサイズのベッドを覆っていた。
 透けて見える白いベッドカバーの上には、小さな赤い花が散りばめられている。
 自分のすぐ後ろにたたずむタケルの気配を感じ、ロゼは何かをごまかすように、寝室の奥に見つけたもう一つのドアに向けて、足早に歩き出す。
「あ、あっちの部屋はなにかしら?」
 
 ドアを開けたとたんにまぶしい光が目に入る。
 そこは大理石づくりの小さな中庭になっていた。
 木製のリクライニングチェアが二つ置かれ、床の中央には六角形のジャグジーバスがコポコポと音をたてている。
 高い壁に絡まるツタ状の植物は小さな赤い花を沢山つけて甘い香りを放っている。
「わあ、専用のジャグジーになってるんだ。すごいすごい!でも暑いよな、屋根つけといてくれりゃいいのに。」
 無邪気にはしゃぐタケルに、ロゼは少し緊張を解き、ジャグジーに手を浸ける。
「でも、これお湯じゃなくて水だから、入っちゃえば涼しいんじゃないかしら。それに夜になればきっと星が綺麗に見えてロマンチックよ。」 
 
 ロゼは失言したと思った。
 せっかくごまかしたと思った、あの雰囲気がもどってきてしまう。
 その証拠にマーズはじっと沈黙している。
 彼の顔を見ることができない…。
 この雰囲気が嫌いなわけではない。
 ただ、まだ慣れないし、とても緊張してしまうのだ。
 胸の鼓動が彼にまで聞こえそうで恥ずかしい…。
 顔が赤くなっていくのがわかる…。
 
 タケルはゆっくりとロゼに歩み寄り、背中から彼女をそっと抱きしめると、ほんのりと紅潮した耳元にささやいた。
「夜まで待てないよ。今入ろう。」
「…そうね。水着、きてくるわ。」
 ロゼは慌ててぱたぱたと部屋に駆け込んでいく。
 
 ロゼは鞄を開け、荷物を広げるとはっと息を飲んだ。
「また…やられたわ。」
 ロゼはその場にへなへなと座りこんでいた。
 元レジスタンスとの会合とはいえリゾート地。
 ひょっとすると一度ぐらいは、海に入る機会にも恵まれるかもしれない。
 そう思って荷物にいれてきた、飾り気のないワンピース水着は見あたらず、代わりに出てきたのは、ごく淡い、クリームがかったピンク色のビキニだった。
 ご丁寧に小さなメッセージカードが添えられている。
『カップルにはたまには刺激が必要よ。』
 …そうなのかしら?
 赤面しながら、可憐でおとなしげな色合いと裏腹に、大胆にカットされたビキニを手にとる。
 
 タケルはリクライニングチェアに寝そべっていた。
 別に誰に見られるわけでもなし、水着じゃなくてもいいんだけど…などと思いながらロゼを待つ。
 
 それにしてもルイってすごいなあ。
 でもギシン星に来てからずっと休みなしだったから、素直に感謝…していいよな。
 タケルが抜けるような蒼穹を見上げながら、ぼんやりと思考を巡らせていると、ドアが小さな音をたてて開いた。
 彼は背もたれからぱっと身を起こしたきり、かちんと固まってしまっていた。
 そんな様子をみてロゼは、俯きながら小さな声で問いかける。
「あ、あの、やっぱりそんなに似合わないかしら。」
 
 まるで白磁のように、きめ細やかに透きとおる肌に、水着のやさしく淡い薔薇色がとてもよく映える。
 腰骨の上で結ばれたリボンのところまで見える形よく引き締まった脚は、いつもよりさらに長く美しい。
 細くくびれたウエストと平らに引き締まった腹部。
 豊かな胸の双丘を少し光沢のある布地が包み込み、その谷間をさらに深く見せている。
 首の後ろへまわっていく可愛らしいリボンさえ、鎖骨のラインと華奢な首筋に艶っぽいアクセントを与えている。
 
 タケルはとっさに言葉が出せないでいた。
 ごくりと唾を飲んだ音が、彼女に聞こえたのではないかとどぎまぎする。
「そんなこと、ないよ。とってもよく似合っている…。」
 少し声がひっくり返った。
 
 ロゼはドアの前に立ちすくんだまま、自らの頬に両手をあてている。
 さらに顔を全部隠してしまいたいといった風である。
 タケルには、そんなロゼがとても愛しくてたまらなかった。
 ゆっくり立ち上がると、ジャクジーを指さした。
「はいる?」
「ええ。」
 床から掘り下げられたジャクジーに入ろうと屈むロゼの胸元に、タケルの心臓は再び跳ね上がる。
 彼は雑念を振り払うように、着ていたシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ捨て、トランクスひとつになると、子どものように奇声をあげながらジャグジーに飛び込んだ。
 頭まで潜るとぶくぶくと盛大に泡を吐き、ザバッと水面に顔を上げる。
「ハハハハハ!」
 屈託なく大声で笑うタケルにつられ、ロゼも久しぶりに腹筋が痛くなるほど笑い続けた。

 

 

 

 

 紺碧の海に張り出したデッキで遅い昼食をとった後、二人はレンタカーで付近をまわってみることにした。

「このあたりは確かにレジスタンスの活動が活発だったのよ。」
 海岸沿いの道路を走りながらロゼは語り始めた。
 
 珊瑚礁に続く遠浅の海岸は広く、砂の白さが空と海の青に囲まれ眩いばかりだ。
 車はやがて森林をぬうように走っていた。
 切り立った山脈が海に迫ってそびえ立っている。
 しかも赤道に近い森林はジャングルそのものであった。
 木々は鬱蒼と茂り、ほとんど日が差し込まない地面にも、シダ性の植物やコケ類が絡み合うようにびっしりと生えている。
 火山性の岩盤には複雑な洞窟も数多く、レジスタンスが潜むには格好の場所だったと、ロゼは無表情で語った。
 
 車はやがて森を抜け、彼らの目前には再び美しい海が広がっていた。
タケルは海岸の駐車場に車を止めた。
「ちょっと歩こう。」
「そうね。」
 
 ついさきほどまで青々と輝いていた海は、もうところどころ橙色に煌めきをみせていた。
 あれほど強くまぶしかった太陽が、いまは大きなオレンジ色の円盤に変わっている。
 
 二人は夕暮れ迫る海岸を歩きはじめた。
 歩くたびにさらさらとした白い砂に足が沈む。
 二人は、どちらからともなく手をつないだ。
 タケルは優しい微笑みを浮かべてロゼを見やる。
 白いキャミソールドレスが、ますます濃くなる夕陽を映し、朱鷺色に染まっている。
 タケルは繋いだロゼの手を、もう片方の手でとり、自らの腕に絡ませる。
「…マーズ。」
 ロゼは幸福に満ちて輝く瞳をそっと閉じると、彼の逞しい腕にもたれかかった。
 彼らは言葉もテレパシーさえも必要とせず、ただゆっくりと歩き続けた。
 
 夕陽がさらに赤く大きく燃えて水平線に熔けてゆき、その煌めきが浜辺に向かって真っ直ぐに伸びた。
 神々しいまでのその光景に二人は歩みを止めた。
 やがて太陽に続く道は、短く消えゆき、海の彼方に薄紅色の名残を残してあたりは青い闇に包まれ始めた。
 
 恋人達は熱く甘い口づけを交わしていた。
 砂浜に寄せては返す静かな波のように何度も何度も…。

 

 

 

 

 ホテルのパーキングスペースに車をとめ、フロントのカウンターに向かうと、昼間のフロントマネージャーがにこやかにお辞儀をした。
「お帰りなさいませ。」
「ただいま。」
 タケルが名前や部屋番号を告げるまでもなくマネージャーは恭しくルームキーを手渡した。
「ご夕食はどちらでお召し上がりになりますか?本館にレストランもございますが、よろしければお部屋のテラスにでもお持ち致しますが…。」
 有能なフロントマネージャーは、言外にさりげなく「有名人カップル」のお忍びバカンスへの気遣いを見せてくれている。
 ギシン星の首都とは別天地のようなここでさえも、自分の名前と顔は有名なのかと思うと、戸惑いを隠せないタケルであったが、素直にマネージャーの勧めに従うことにした。
 
 コテージのリビングから続く広いテラスの四隅には、篝火がたかれ、テーブルを照らし出していた。
 タケルとロゼが席に着くと、程なく二つのグラスと、果物と氷をたくさん刻み込んだ果実酒が運ばれてきた。
 二人は乾杯すると乾いた喉を潤した。
 色とりどりの海草のゼリー寄せ、大きな葉で幾重にも包まれて蒸し焼きされた肉にはフルーツのソースが添えられている。
 このあたりでとれたであろう新鮮な魚貝は、さっと粗塩をふって焼いただけだが、これがなんとも美味であった。
 二人は何度も、おいしい、と言いながら、デザートのシトラス風味が利いたトロピカルフルーツシャーベットまでを平らげた。
「あー。旨かった。」
「おいしかったわね。ごちそうさまでした。」
 頃合いを見計らってやってきたウエイターが、食器を手際よく下げ、果物を盛り合わせた籠をテーブルの上に置き一礼して去っていった。
 
 再び波の音だけが大きく聞こえてきた。
 今、潮は満ちてきているのであろうか。
 テラスのすぐ下までせまる波打ち際だけが、篝火に照らし出されている。
 その奥に一面に広がるのは真っ暗な海…。
 はるか遠くの入り江に灯台の明かりが点滅して見える。
 そしてその明かりに負けずに輝くのは満天の星々…。
 煌々と輝く無数の星々は、暗黒の海と空との境をはっきりと浮かび上がらせている。
 
 二人はテラスの椅子に座ったままくつろいでいた。
 テーブルにおかれた南国の果物が、独特の熟れた甘い香りを漂わせている。
 
 ロゼはひときわ明るく見える星々を指さし、それらの名をタケルに教えた。
 見え方や形こそ異なるものの、その中にはタケルが地球で見慣れた星々もあった。
「地球…って…どの辺なのかな。」
 ロゼは優しく微笑むと天頂にほど近い一点を示した。
「あの辺りだと思うけど…ちょっと見えないわね。」
「ふうん。」
「そろそろホームシックかしら?」
 タケルは少し目を見開くと、フッと苦笑いを浮かべた。
「そうかもな。」
 彼は前髪をかき上げた後、片膝を抱えるように椅子にのせると、言葉を続けた。
 
「俺は、マーグからギシン星の風景を伝えられたとき、懐かしい思いでいっぱいだった。これが俺の生まれ故郷だったんだ…って。君に初めて俺たちが生まれた家を見せてもらったときも、懐かしくてたまらなかった。だけど、やっぱり俺は18年もの間、地球で明神の父母に育ててもらった。ズールが攻めてきたあの日まで、俺は自分が他の星から来ただなんて、父さんと母さんの本当の子どもじゃなかっただなんて、思ってもみなかったよ…。」
「そうね、ズールはたくさんの人々の運命を変えてしまった。」
 星々を見上げていたタケルははっとしてロゼを見た。
 彼女の美しい顔を決して曇らせたくはなかった。
「ロゼ、だけど俺は君に逢えた…。君がいれば、俺はどんな運命にだって立ち向かっていける。」
「マーズ…。」
 タケルはロゼの形のよい手をとり、指をしっかりと絡めた。
 二人は微笑みあい、そしてまた星の降るような夜空を振り仰いだ。

 

 

 

 

 翌朝二人は、瑠璃色に透きとおる海に、小さなモーターボートを走らせていた。
 このあたりは野生のイルカの群生地だと、朝食を運んできたボーイが教えてくれたのだ。
 ボートを沖に進めるとすぐに、小さなヒレが水面に浮き沈みするのが見えた。
 そのままの速度を保ちながら慎重にボートを走らせる。
 こちらに害がないと見たのか、やがてヒレは数を増し、ボートの下をくぐったり、丸い頭や尾びれを見せて、小さくジャンプを繰り返す。
 やがては舳先をとびこすように大きなジャンプをみせるものもあらわれ、まるで一緒に泳ごうといわんばかりだ。
 無邪気で可愛らしいイルカ達の様子に、タケルもロゼも子供のようにはしゃぎ、大きな笑い声をたてていた。
 
「ねえ、泳ぎましょうよ!」
「ああ!」
 ロゼは、身体に巻き付けていた花柄の大きな一枚布を勢いよく取り去ると、淡い薔薇色のビキニ姿になった。
 昨日はあれほど恥ずかしそうにしていた彼女だったが、今は全く気にかける様子もない。
 一瞬ドキリとしたタケルであったが、初めて見るロゼのはしゃぎように心を奪われた。
「お先に!」
 ロゼはひらりと船尾に飛び上がると、鮮やかに海面にダイブした。
「待ってくれよ!」
 タケルはあわててTシャツと短パンを脱ぐ。
 大きな花柄プリントのボクサーショーツ型の水着は、今朝がたホテルの売店で調達したものだ。
 彼としては地味でシンプルなものが欲しかったのだが、リゾート地にそんな代物は売っていなかった。
 ロゼも同様に水着を探していたが、今着ているものよりずっと大胆で奔放なデザインのディスプレイに、顔を赤らめていた。
 なんでも、ルイにこっそり荷物の中の水着をすり替えられたらしい。
 
 優しいクリーム色がかった薔薇色の水着は、売店にあったどんな派手なものよりも、ずっと彼女を艶っぽく魅せている。
 タケルはひそかにルイの粋な計らいに感謝していた。
「それっ!」
 船床に転がっていたゴーグルを二つ掴むとタケルも高く身を躍らせた。
 
冷たい水の感触とともに、体中を勢いよく泡が包み込み、くすぐったくゴボゴボと音を立てながら海面に昇っていく。
 さらに軽く息を吐き、彼は頭を下にして潜っていった。
 澄み切った海は海底まで明るく陽光が差し、自らの影が白い砂や珊瑚に映っている。
 まるで空を飛んでいるようだ…。
 
 タケルはしばし、その感覚を楽しむと海面に顔を上げた。
 あたりを見渡すがロゼの姿はない。
 ゴーグルをつけてもう一度潜水する。
 空気のように澄み切った水を掻き分けて泳いでいると、船底の向こうに人影が見えた。
 
 ロゼは数匹の小さなイルカとともにいた。
 彼女は海の中をくるくると錐揉みするように回り、また、ぱっと四肢をひろげて宙に浮くように止まったり、両足をそろえて波打たせて素早く移動したりしていた。
 イルカ達は彼女の自在な動きにすっかり喜んでいるようで、彼女の真似をしたりしながら、ぴったりと寄り添って泳いでいる。
 
 現実とは思えないほどの美しい光景と、空中を飛ぶような浮遊感に、タケルはしばらく時間が止まっているかのような感覚を味わった。
 
 やがてロゼがこちらに気づいて近づいてきた。
 イルカたちも一緒である。
 タケルはロゼにゴーグルを渡すと、彼女はにっこりと笑って浮上した。
 そろってタケルも海面に顔を上げる。
 彼は大きく息を吸い込むと、ロゼに声をかけた。
 
「ロゼってすごく息が長いんだな。俺は海の近くで育ったから潜るのは得意なんだけど…。」
「私、海でこんな風に泳ぐのは初めて。育った家の裏に湖があったから、夏は毎日ルイと泳いでいたけどね。」
「へえ…それで…。」
 まさに水を得た魚といった感じで、ロゼはもどかしいように水中へ頭を潜らせた。
 形の整った細い足の指だけが、一瞬水面に見えて沈んでいく。
 イルカにヤキモチを妬いても仕方がない。
 タケルは深呼吸すると、もういちど深く息を吸い込んで彼女の後を追った。
 
 イルカにはテレパシーがあるという学説は正しいのかもしれない。
 もちろんいくら超能力者の彼らでも、物事の詳細をイルカと語り合うことはできないが、お互いの意志が通じているという感覚がはっきりと感じられる。
 イルカには、人間の心を敏感に感じ取りその心の傷を癒す力さえあるという。
 確かにタケル達は今、完全といってよいほどに癒されていた。
 それは二人とともに戯れるイルカたちのなせる技なのか…。
 この神々しいまでに美しい、海と自然の力なのか…。
 
 あまりに暑すぎる真昼時は、イルカ達も涼しい入り江の岩陰で休むらしく、名残惜しそうに彼らのそばから離れていった。
 タケル達がボートに上がってからも、イルカたちは何度も小さくジャンプし、また遊ぼうという声が聞こえんばかりである。
 
 タケルはボートのエンジンをかけた。
「さあ、俺たちもランチタイムとするか。」
「ええ、そうね。お腹ぺこぺこだわ。」
 ゆっくりとボートを旋回させ速度を上げる。
 照りつける太陽と潮風で、あっという間に水着や髪が乾いていく。
 快適なクルージングを楽しもうと、タケルは入り江を大きく回り込んでから、ホテルのマリーナに船首を向けた。

 

 

 

 

 星降る夜がまた恋人達に訪れた。
 夕食後、二人はコテージの中庭に出た。
 壁に絡まったツタに咲く花は、夜の空気になお一層、濃く甘い香りを放っている。
 彼らはしばらくリクライニングチェアの背を傾けて、星々に見入っていたが、やがてタケルが無言で立ち上がり、足下のジャグジーを指さした。
「入ろうか。」
「ええ。」
 ロゼは微笑みながら肯いて部屋に入っていこうとしたが、タケルはその細い腕を掴まえた。
「何しに行くんだ?」
「…? 水着をとりにいくのよ。」
 タケルはさらにロゼの腕を引き寄せ、彼女を背中から抱きしめた。
 少し身を屈めて彼女の耳元に囁く。
「いらないさ。誰もいない…俺たちだけだ。」
「…でも…。」
 タケルはこたえず、彼女の首の後ろで結ばれたサマードレスのリボンをほどいていく。
 
 二人は生まれたままの姿で、満天の星空を独占していた。
 
 南国の太陽で火照った肌に、ジャグジーの水の冷たさと細かな泡が心地よい。
 タケルはロゼの細い腰に手を伸ばすと、浮力を利用して軽々と彼女を自らの膝にのせる。
 日焼け止めを塗っていたのか、白いままの滑らかな彼女の肌が、星明かりを映して輝いている。
「綺麗だよ…俺の…ロゼ。」
 水面が静かに揺らめき、小さな水音がたつ。
 恋人達は熱く甘いくちづけをかわした。
「ロゼ、愛している…。」
「愛しているわ…。」
 ロゼの少し掠れたささやきは、タケルの唇に包み込まれて消えていった。
 
 イルカとの無邪気な戯れが、心の澱を昇華させたのか…。
 あるいは、この美しき地上の楽園が、二人を原始の恋人達に還したのか…。
 
 二人が、これほど自然に、そしてこれほど情熱的に互いを求め合ったのは、初めてのことであった。
 
 彼らは、その細胞の源が遙かなる太古に海の水から生まれ出たのを懐かしむように、水の中で交わりあった。
 そしてまた、彼らは、神聖な禊ぎのごとく、降り注ぐ星の光に自らの躰をさらし、お互いの全てを唇で清めあった。
 彼らは、より深く濃く、肉体のうちなる魂までも、絡み合い、結びつくように祈りをこめて激しく求めあった。
 
 むせかえるような花の香りが一層濃く漂い、二人は恍惚と溶け合いながら、星の世界を幾度も漂った。

 

 

 

 

 恋人達の熱い夜は長く、タケルがレースの天蓋付きのベッドで目覚めた時は、すでに昼にほど近かった。
 すぐ側に眠る愛しい人の目を覚まさぬように、彼はそっと上体を起こす。
 彼女の緑の髪は、さらさらとシーツに流れ、その寝顔は子供のように安らかであった。
 はじめて見るよな…こんな寝顔…。
 タケルが近くでまじまじと見つめていても、ロゼはまだ規則正しく、静かな寝息を繰り返している。
 タケルは、微笑むと彼女の柔らかな耳朶に、音をたててキスをした。
 彼女はビクッと首をすくめると、青い瞳を見開き、いたずらっぽく笑うタケルに、ふくれっ面をしてみせる。
「いじわるね。」
「お姫様がお寝坊だからだよ。」
「まあ、あなただって今起きたんじゃないの?」
 ロゼは反撃にでようと、素早くタケルの両肩をベッドに押さえ込んだ。
 彼はとたんに目を見開き、唇の片端を小さく引きつらせた。
 その彼の表情に、ロゼはふと我に返り、自らの身体を唯一覆っていたシーツが全てはだけてしまっていることに気が付いた。
 ロゼは小さな悲鳴を上げ、胸元を細い手で隠そうとした。
 今度はタケルがその手を素早く捕らえると、ぐっと引き寄せ、彼女を抱き留めた。
「目の保養させてもらったよ。」
 そう言うが早いか彼女の唇を奪うと、声を上げて笑いながらベッドを転がり降りる。
「もう!」
 タケルはバスルームへ逃げ込み、ドアをバタンと閉めて、飛んできた枕をかわす。
 ドア越しに彼の楽しげな笑い声が聞こえる。
「今日もイルカと泳ぎに行くだろ?」
「もちろん!」
 
 こうしていくつかの朝と夜が過ぎた。
 
 恋人達は、この楽園で愛を交わすたびに、遙か太古からの時の流れを漂い、広大無辺の宇宙の起源を垣間見た。
 
 原始より続く大いなる自然は、この楽園の地を守るべく、彼らを癒し、より堅く結びつけ、そして彼らに新たなるエナジーを分け与えたのだった。

 

 

 

 

 思いがけない二人きりの夏休みは終わりを告げた。
 
 滑走路を走る飛行機は速度を上げ、ふわりと機首が持ち上がる。
 体をシートに押しつける重力の感触がすでに懐かしい。
 やがて眼下には白い砂浜と美しい瑠璃色の海が広がった。
 きらめく日差しは珊瑚礁を照らし、飛行機の影がその上を動いてゆく。
 忘れ得ぬ素晴らしき日々を、恋人達に与えてくれた楽園は、今日も変わらぬ一日を送る。
 
 永遠に、願わくば永遠に、この至宝の楽園が続きますように…。
 二人は互いの手を堅く握りしめ、同じ思いを共有していた。
 それは祈りであり、誓いであった。
 タケルはロゼの頭をそっと抱え寄せると、つややかな緑の髪を撫で続けた
 
 飛行機は巡航高度に達していた。
「ロゼ、俺は今回、すごい発見を二つしたよ。」
 きらきらと輝くタケルの瞳を見るだけでロゼは幸せを感じていた。
「なに?」
「ルイはこの星で一番の戦略家で戦術家だったってこと。」
 ロゼは青い瞳を見開いたあと、クスッと笑った。
「同感。私の自慢の妹ですもの。…もうひとつは?」
「俺は自分でも驚くほど、君を愛しているっていうこと。」
「私も同じよ、マーズ…。私も、驚くほどあなたを愛してる。」
 
 二人は素早く軽いキスを交わした。
 彼らは今、ごく普通の恋人同士であった。
 
 シャングリラ発の満席の客室にはカップルが多く、彼らの行為に気づくものは誰もいなかった。
 彼らがギシン星と地球の架け橋となる、大役を担う二人であることにも…。
 
 そして、その彼ら自身でさえ気づいていないことがあった。
 
 彼らはあの美しい楽園に「選ばれた」のだった。
 楽園は、類まれなる力と心を持つ彼らを祝福し、さらに固く結びつけ、そしてエナジーを分け与えた。
 
 未来をこの恋人達に託すために…。
 
 

 

 
end


お祭りが終わってやっっっと読ませていただくことが出来ました。
読んでる最中顔がにやけてにやけてどうしようもなかったですよ。
弟がすっごい積極的で男らしい〜!
自分じゃ想像すら出来なかった「男の顔」に、きりもノックダウン!
ありがとうございました。


2002.8.16

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