full moon
ゆみ58さま

 

 

 

 

 そのとき、まさに夜が変わった。
 夜空の大半をなお暗く占めていた黒雲が風に流され、金色の円盤が煌々と輝き出す。
「月…。」
 
 朝から降り続いた雨は日暮れ間近になってやっと止んだ。
 仕事が終わり、少し遅い夕食を摂った後、二人はまだ蒸し暑い室内からテラスに出てくつろいでいた。
 日中はまだ夏の暑さが残っていたが、夜になると外の風はひんやりと心地よく、季節の移り変わりを感じさせる。
 
 細い手が傾けるティーポットがふいに青く照らしだされた。
 ロゼは、何かを呟きながらリクライニングチェアから身を起こす恋人に、視線を向ける。
「満月だ。」

 ここはギシン星であり、もちろん夜空に燦然と輝いているのは「月」ではない。
 しかしギシン星の衛星であるその星は大きさも色も「月」とよく似ていた。
 今夜は、どこも欠けるところがなく完全な円を形作っている。

(月より少し明るい…かな?)
 だがタケルは思い出した。月もこんなに大きく明るく見える季節がある。
 そう、ちょうど今頃かもしれない。
 小さい頃、母は毎年、沢山の果物と団子を供えていた。
(梨と、ぶどうと、栗と…そうだ、いつも父さんとススキを採りにいったっけ。)
 
 物思いにふけるタケルにロゼはそっと声をかけた。
「地球が恋しい?」
 月が地球の衛星だということはロゼもよく知っていた。
「ああ。そうだな。」
 タケルは、はにかみながら言葉を続けた。
「月を…そう、ちょうどこんな時期の満月を讃える習慣があるんだ。月が一番大きくて綺麗に見えるんだ。」
  
 ギシン星の「月」に薄い雲がかかる。
 やがてその雲も速い風に押し流されると、さらにそれは輝きを増した。

 別世界…。

 この明るさは夜のものではない。昼でもない。
 暗闇の緞帳を地平まで濃紺に照らし、燦々と白金色に輝く孤高の月。
 こんなに大きな物体が空を飾ってよいのか。
 もう、この星の大気のすぐそばまで近づいているのかも知れない。
 その光は、いっそ不気味なまでに、妖しく強く輝く。
 大地のすべてのものが、この光にひれ伏している。

 どんな暗闇さえもあますことなく照らし出す光…。
 決して太陽のように、熱く押しつけがましい光ではない。
 冴え冴えと静かに、それでいて心の深淵までをも青く照らす絶対的な光…月光。

 子供のころ、自分は月が怖かったのかも知れない。
 まるであやすように母が教えてくれた言葉をふと思いだし、今そばにいるひとに語る。
「月には、うさぎが住んでいるんだ。」
「うさぎ?」
 屈託なくほほえむ彼の瞳が輝いている。
「ああ。そういう言い伝えがあるんだよ。いつか見に行きたいって思ってた。」
 本当にいるのか、いないのか。
 当時のタケルにも半信半疑であったように思い出されるが、それでもいつか月に行ってみたいと思っていた。
 その十数年後に、月より遙かに遠い星で夜空を見上げている自分に気づき、不思議な感覚にとらわれる。
 浮遊感にも似たその感覚に、タケルは思わずかたわらのひとの肩に手をのばした。
 ゆっくりと振り向く彼女の美しい横顔を青い光が照らし、形のよい唇がつややかに輝いた。
 タケルは少し首を傾けながら、その唇に口づけた。
「…」
 長く甘いくちづけを静寂が包み込む。
 宙を泳いだロゼの細い手首を、タケルの手ががっしりと捕まえた。
「逃げないで…」
 早口で告げた後、再び彼女の唇を奪い、細い腰に手をまわす。
 優しく抱き寄せ、リクライニングチェアに沈みこむ。
  
 月の光が二人の瞳をつややかに輝かせ、幸福に満ちた微笑みを優しく照らしている。
 またゆっくりと顔が近づき、くちづけの合間に言葉を交わした。
「愛してる」
「愛しているわ」
 タケルはロゼの頭を抱え込むと、自らの逞しい胸の上にのせて緑の髪を梳く。
 その優しい指の感触にロゼはうっとりと目を閉じた。
 
 幾筋かの薄雲が月をよぎり、さらに月はその清らかな輝きを増した。
 そしてタケルは、どこか物悲しいメロディを口ずさみはじめていた。

 月の沙漠をらくだで旅する王子と王女。
 古い童謡をおだやかに歌うタケルの声が月夜の庭に響いて溶けていった。
 
 最後の声の余韻が消えて、静寂が戻る。
 ロゼはタケルの胸に耳を押し当てて、伝わってくる歌声の余韻を最後まで聞き取っていた。
 やがて安定した呼吸音だけが聞こえるようになると、彼女はゆっくりと瞼を開いた。
「すてきな歌ね…いい、声だわ」
 月明かりが、タケルの少しはにかんだ微笑を照らしている。
「母さんが好きな歌なんだ。よく歌ってくれた。ロマンチックな歌詞だけど本当の砂漠は夜は気温が零下にもなって、とてもこんなにおっとりと旅をしてはいられないらしい。昼は灼熱、夜は氷点下」
「フフ…二人はどこに行こうとしていたのかしら」
「さあ…どこだろうな」
「二人だったら、どんな世界ででも、どんなところへでも行けると思うわ」
 ロゼの瞳が揺らめいている。

「そうだな。二人だったら…」
 その言葉の最後は互いに重ね合わせた唇に、微かな吐息のなかに伝えられた。

 二つの影がひとつになり、恋人達の夜が始まる。

 月は、夜空を支配するその天体は、ただ静かに炯々と輝いていた。 

                          

 

End


ロマンティックなタケロゼ〜!
実は第一稿には歌詞が入っていたのですが、
著作権の問題で掲載できませんでした。
有名な童謡なのでみなさまよくご存じだと思いますが、
ご存じでない方はこちらへどうぞ。
歌詞を見ることが出来ます。

http://www.town.onjuku.chiba.jp/shisetsu/kinenkan/kinenkan.html
(お手数をおかけしてごめんなさい。
コピー&ペーストで飛んでってくださいませ)

 
2002.9.20 きり

 

Index Novels
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送