memory
ゆみ58さま


 

Prolog

 

 
 

 目覚めて窓を開けると、少しひんやりとした空気に、あの花の甘い香りが濃く漂っている。
 夜着にショールを羽織り庭へ出てみる。
 鉢に植えられたその木に、小さな、指先ほどの橙色の花房が二つ三つ垂れ下がっていた。
 ルイはしばし瞳を閉じ想いを馳せる。

 
 
 今年ももう、この季節がきたのね・・・。
 あれから何年になるのかしら・・・。
 この香りに包まれる度に私は、あなたのことを思い出さずにはいられない。
 たったこれっぽっちの小さな花が、庭中の空気を染めるように、あなたと過ごしたあの短い時間が、私の心を濃く染めている。

 
 この若木はやがてさらに大きく育ち、木全体に橙の花房をつけ、さらに強く芳香を放つようになるだろう。

 
 あなたの思い出が、年月を追うごとに、さらに美しく輝くように・・・。
 

 

 

 

 

 ルイの故郷である第八番惑星はズール皇帝軍によって占拠され、圧政を強いられていた。 当初抵抗し続けていたこの星の軍事力も、瞬く間に圧倒的なズール皇帝軍の力によって壊滅した。
 大半の人々は植民星の労働力として日々を送ることを余儀なくされ、また少しでも能力や野心に長けた者はのぞんで皇帝軍の志願兵となっていった。

 ルイの姉、ロゼは絶対的な力を持つズールへの服従が、結果的にこの星に平和をもたらすと信じ、家を出て行った。
 ルイは、たった一人置き去られた家で、姉の変貌に落胆し、その名声が高まるたびに深く失望し続けていた。
 
 彼女たちの生家は深い森と泉に囲まれた美しい村にあった。
 これらの恵まれた自然はまた、数少ないレジスタンス活動者たちの隠れ家としてうってつけであった。
 彼らに与することが分かれば自分たちも殺される。
 彼らを疎ましく思う者もあったが、皇帝軍にその存在を密告する者はだれもいなかった。
 長く厳しい圧政の中でレジスタンスの存在は一縷の望みであり心のよりどころでさえあった。

 
 
 ある日のこと、ルイが一日の強制作業を終えて家にたどり着くと、庭の茂みからうめき声が聞こえた。
 恐る恐るのぞいてみるとそこには一人の長身の青年が倒れていた。
 青年の栗色の髪は所々血で染まっていた。
 ジャケットの腕の部分が黒く焦げて裂け、そこからも血が滲んでいる。
 おそらく銃弾がかすったのであろう。
 村の奥に潜むレジスタンスのメンバーに違いない。
 見慣れない顔立ちは苦痛にゆがみ、もういちど低く呻いた後、完全に意識を失った。

「ちょっと、ねえ!」

 呼吸はしているものの、反応はない。
 彼がレジスタンスだとしたらこの傷は皇帝軍にやられたもの。
 兵士がこのあたりを捜索しているのなら、見つかれば自分まで危ない。
 ルイは彼の両脇の下から腕を通すとずるずると家の中に運んでいった。
手近なリビングのソファに彼をどうにか横たえると、家中のカーテンを閉め、鍵をかけた。
 冷たい水にタオルを浸し、青年の額の傷をそっと拭く。
 傷自体はそんなに深くはない。
 腕の方もかすり傷と言ってよい。
 さらに髪にはりついた血糊を拭う。
 すると彼はゆっくりと瞳を開いた。
 髪の色と同じ、優しい栗色をしていた。

「ここは?」
「私の家よ。安心して、もう少し休むといいわ。」
「ありがとう・・・。君の、名は・・・?」
「ルイ。」
「ルイ・・・。いい名前だね。」

 彼は穏やかな笑みを浮かべると再び目を閉じ、安らかな寝息を立て始めた。
 傷を手当てし、破れたジャケットを脱がせて、そっと毛布を掛けた。
 年の頃はルイより5,6歳ほど上であろうか。
 穏和な顔立ちからはとてもレジスタンスなどとは想像できない。
 しかし目覚めたときに一瞬見せた、冴えた精悍な表情は、戦いの中に身を置く人間であることを示しているように思えた。
 ルイはなぜか、もう一度彼の栗色の瞳が見たいと思った。
 その瞳の色を知っている気がした。
 もう一度彼の笑顔が見たい。
 なぜか懐かしい笑顔が見たい・・・。

 

 

 

 

 二階の部屋で眠っていた彼女は、深夜、微かなノックの音に目を覚ました。
 
 ドアを開けると、あの青年が立っていた。
 人差し指を口元に当て、小声で素早く告げた。

「皇帝軍だ。俺を捜している。裏口はあるか?」

 玄関のドアが激しく叩かれている。
 ルイは窓辺に駆け寄るとカーテンの影から外の様子を確かめた。
 玄関前には数人の兵士が軍用犬を連れている。
 血のにおいを嗅ぎつけてきたのだろう。
 反対の方角の窓からのぞくと、家の周りをぐるりと兵士が取り囲んでいるのが見えた。

「だめよ。逃げられない。」

 栗色の髪の青年は、眉を寄せ、いっそう苦々しく舌打ちした。

「なんてことだ、君まで巻き込んでしまう!」

 ルイは彼のその厳しい表情でさえ、なぜかもっと見ていたいという衝動に駆られた。
 
「私がでるわ。あなたは隠れていて。」

 小声の制止をふりほどいて彼女は、玄関のドアの鍵を開けた。
 とたんに兵士がドアを蹴りこんで入ってくる。

「おい、レジスタンスの男を見なかったか?」
「いいえ、見ませんでした。」
「中を調べる!」

 数名の兵士が手分けして家中を探そうとする。
 そのうちの一人が二階に駆け上がり、青年が潜む部屋のドアを開けようとした。
 ルイは思わず息をのんだ。
 とたんに一発の銃声が響いた。
 兵士が立ったままの姿で後ろへ倒れ、階段を数段滑り落ちる。

「いたぞ!奴だ!」

 声を合図に家の周りを囲んでいた十数人の兵士達が玄関ホールになだれ込んできた。
 逃げられない・・・!

 ルイが絶望に足をすくませたとき、彼女の前に立ちはだかる影があった。
 栗色の髪の青年であった。
 彼がその両腕を体の前で組んだとき、閃光が部屋中にほとばしった。
 衝撃波!?

 ルイの視界が回復したとき、あたりには静寂が取り戻されていた。
 兵士達は全員一撃でこときれていた。
 青年は何も口にしなかった。
 ただ髪と同じ優しい栗色の瞳が、一瞬悲しげに揺れ、ゆっくりと玄関のドアに向かった。

「・・・何も見なかったと、寝ていたら階下で知らない男と兵士が暴れていたと・・・。」
「待って、私も連れて行って。」

 ルイは自分の口をついて出る言葉に驚く、もう一人の自分を感じていた。
 それでも迷いはなかった。

「もう私一人だけなの。私も、私も戦うわ。」

 ルイは彼の腕を捕らえていた。
 栗色の瞳が彼女の瞳をのぞく。

「よし。すぐに追っ手が来るぞ。」

 彼はかけ出すと、表に止めてあった軍用ジープに飛び乗った。
 運転席から手をさしのべ、ルイを助手席に引っ張り上げる。

 ルイは握りあった手に、微かな電流を感じたような気がした。

 

 

 

 

 軍用の四輪駆動車は力強く山道を登っていった。
 曲がりくねった獣道をもう2時間ほども走ったであろうか。
 ここがどのあたりなのかルイにさえ見当がつかない。
 さきほどの兵士達の死顔がルイの心をよぎる。
 皇帝軍の侵略と圧政下で生きる彼女にとって、死人を見るのは無論初めてではない。
 しかし今彼女の横に座る穏和そうな青年が、一瞬にして数十人もの命を絶った。
 今日初めてあった、まだ名前も知らぬ彼に、付いて来た私は浅はかだったのだろうか?

 二人は終始無言であった。
 原生林をぬって走る車は激しく揺れ、口を開けば舌を噛むだろう。
 そして迫り来る敵に対する緊張感と、何かもうひとつ二人にもまだ理解しがたい感情が彼らを無口にさせていた。
 このまま、いつまでも走っていたいと思うのはなぜか?

 やがて彼はエンジンを止めた。
 慎重にあたりの様子を探り、追っ手がついてきていないことを確かめると、大木から垂れ下がるツタを引っ張った。
 すると目前に暗く立ちふさがっていたはずの、苔むした木々の一部が消え、木製の扉が現われた。

 よく見るとこの辺りの木々は、村の集会所ほどの建物をカムフラージュするために寄せ集められ、またところどころは舞台装置の書き割りのようになっていた。
 レジスタンスの秘密基地にふさわしい設えであった。

「さあ、中へ・・・。」
 
 彼はルイを促そうとしたとたん、短く息を吸い込んだ。

「・・・やられた!」

 ルイは彼の背中越しに中の惨状を目にした。

 50人ほどのレジスタンス達が所狭しと折り重なるように死んでいた。
 若い男が多かったが、年老いた者や、ルイと変わらぬ年齢の女性もいた。
 むせかえるような、血と硝煙のにおいは、この惨劇が行われて間もないことを物語っていた。
 栗色の髪の青年は、一番近くに倒れていた若者が握っていた拳銃をそっと取り上げた。

「銃は撃ったことがあるか?」

 ルイは凍り付いたように立ちすくんでいたが、かろうじて青年の顔を見上げ、ゆっくりと首を左右に振った。

「そうか・・・。それでも君はこれで戦うんだ。」

 青年はルイに簡単に銃の使い方を教え、予備の銃弾カートリッジを手渡した。
 彼は同志達の遺体をまたぎながら部屋の奥へと進み、一角のカーペットをめくると床板をはずし、小型のコンピュータ端末を取り出した。

「これが無事ということは、まだあいつらがこの辺りにいるってことだ。」
「?」
「各地のレジスタンス達は連絡を取り合って活動をしている。一つの基地を潰せば、そこから必ずデータを得て、別の基地を叩く。」

 手早くキーボードを操り、彼はメッセージを打ち込んだ。

「当基地壊滅。残存2名。データ消去する。」

 それだけを送信した後、端末を床に置くと、手近にあったランプの液体燃料をかけ火をつけた。

「さあ、なんとしても脱出する。生き延びて同志に合流する。わかったね。」

 栗色の瞳に炎が映っている。
 ルイはただ、うなずくしかなかった。
 細く白い手に収まった拳銃を、さらに握りしめる。
 炎はたちまち木造の建物に広がった。

「車のところまで一気に走る。行くぞ。」

 彼らは死者達に祈りを捧げる間もなく、再び森へ駆け出していった。

 まさに車に手をかけようという時、一発の銃声が暗い森に響いた。
 ルイは左の上腕に鋭い熱さを感じた。
 兵士が放った銃弾が彼女の皮膚を掠めたのだ。

「ルイ!」 

 バランスを崩し転倒する彼女を抱き上げた彼は、そのまま車に乗り込むとエンジンをかけた。
 幸運にも車は破壊されてはいなかった。
 急発進をさせ、山道を駆け登る。

「大丈夫か!?」
「ええ。掠っただけだわ。」



 数分もしないうちに、真っ暗だった林が煌々とサーチライトに照らされ始める。
 上空にはヘリコプターのローター音が響き渡っている。

「ルイ、覚えておいてくれ。この道をまっすぐ登っていけば大きな滝に出る。滝壺に張り出した岩の上で胸に手をあてて待っていれば同志が迎えてくれる。今はまず追っ手をまくぞ。」

 彼はそう言うと左の小径へハンドルを切った。
 サーチライトはさらに数を増し、辺りは真昼のごとく明るい。
 急勾配の坂を上りきったところで、真っ正面にまわりこんだヘリからの閃光に視界を失った。
 車は崖を滑り落ちた。
 彼はルイを抱きかかえると体を車外へおどらせる。
 全身で彼女を包み込み数十メートルほども急斜面を転がり続け、やっと停止した。
 ルイは軽い脳震盪を起こしていたが、どうにか彼の上に覆い被さっていた体を起こす。

「あ!」

 彼の左の鎖骨の下に槍のように木が刺さっていた。
 貫通しているらしく背中から血が大量に流れ出している。

「しっかりして!しっかり!」

 ルイが彼の頬をぴしぴしと叩くと、彼はゆっくりと栗色の瞳を開いた。

「ルイ・・・。行くんだ。早く。生き延びろ。」
「だめ、死んではだめよ。」
「俺の分まで戦ってくれ。この星の未来のために・・・。」

 彼はそれだけ言うと、ふーっと、長くゆっくりと息を吐いた。

 それが彼の人生で最後の吐息だとルイには分かっていた。

 ルイはその息が終わり切らぬうちに、衝動的に彼の唇に口づけた。
 彼の息吹を感じたかった。
 彼の魂を、勇気を、ほんのひとかけらでも、自分のなかに取り込みたかった。

 ルイは素早く身を翻すとさらに崖を下り、岩場の陰の茂みに隠れた。
 すぐに皇帝軍の兵士達が数人やってきた。
 血の海に横たわる彼に恐る恐る近づくと、つま先で彼の体をつつき、その死を確認した。 小隊長とよばれた年長の兵士が、失望も露わに大きな声を出す。

「チッ、せっかくの超A級超能力者さんとやらも、死んじまっちゃあお終いだな。生け捕りにしたら俺は昇進間違いなしだったんだ。洗脳して使うんだとよ。まあ、それができなきゃ殺せっていう命令だったから、良しとするか。ハハハハ!」
「もう一人、女がいましたが?」
「谷底までまっさかさまだろ、どうせあんな女一人でなんにもできやしないさ。指定人物でもなし、探すだけ面倒ってもんだぜ。」

 兵士達の高らかな笑い声を聞きながら、ルイは震える体を自ら抱きしめ、嗚咽と歯ぎしりを必死でこらえていた。

 

 

 

 

 森に静寂と闇が戻ってきたとき、ルイは初めて甘く濃い香りが辺りを包んでいることに気がついた。
 体のあちこちの痛みをこらえながら崖を登り、彼の遺体の元へ戻った。
 彼の顔はあまりにも穏やかで、微笑をうかべてさえいるようだ。
 甘く独特の花の香りは、血の臭いをすっかり消している。

 遙か山際が白々と明けつつあった。
 見ればこの一面の木々は橙色の花房を全身に咲き誇らせ、むせかえる芳香を山中に放っていた。
 何ていう名前の花かしら?
 ふと浮かんだ考えが、ルイにさらに新しい涙を流させた。
 
 名前・・・。
 彼の名前を聞くことさえできなかった。
 優しい栗色の髪と瞳を持つ、長身の青年。
 穏やかな笑顔と、精悍な表情。
 レジスタンスで、超A級超能力者。
 たったそれだけ・・・。
 私が彼について知っていることはたったそれだけ。

 ルイは手で土をすくっては彼の体にかけていった。
 彼女一人で彼を担いでこの山を出られるわけもなく、埋葬するための穴を掘る道具すら持ち合わせていなかった。
 せめて彼の体をこのまま野ざらしにしたくはなかった。
 
 最後にその栗色の髪にまで土を被せ終わると、ルイは橙色の花房を集めた。
 花房を形作る小さな十字の花々はそれ一つでも充分佳い香りがした。
 両腕いっぱいに抱えたその花を彼の上に、ぱっと散らした。
 ルイは跪いてしばし黙祷すると、毅然と立ち上がり、山道へと崖を登り始めた。
 もう一度も振り向かなかった。 
 
 彼の遺志を無駄にしない。
 私はレジスタンスとして生きる。
 この星の未来をつかむために・・・。
 
 強い意志が若い体に力を与え、彼女は断崖を登り切った。
 見渡せば雲一つない蒼穹に昇る太陽が、緑の山々を燦々と照らしだしている。
 木々は輝き、谷底から吹き上がる、あの花の香りを含んだ風に揺れている。
 
 ルイはふと自らの近くに強く漂う芳香に気づいた。
 陽に透ける金髪に、あの花房が小枝ごと絡まっていた。
 そっと指でとり、丁寧に上着のポケットに納めると、彼女は歩き出した。
 同志達のもとへ・・・。

 

 

 

 

 丸一日歩き続けて、ルイはやっと滝にたどり着き、レジスタンスに迎えられた。
 
「向こうの端末からの最後のメッセージでは二名残存とあったようだが?」
 
 リーダー格の壮年の男がルイに問うた。
 
「はい。彼は・・・殺されました。私はあの日、彼について行ってはじめてあの基地を訪れたのです。」
「彼?」
「あの、栗色の髪と瞳の・・・。」
「名前は?」
「知らないんです。あ、あのこちらで分からないんですか?超A級超能力者だって皇帝軍の兵士達が言ってましたし、かなり強い衝撃波を使ってました。」
 
 リーダーはふっとため息をつくと、苦い表情を作った。
 
「残念だが、超A級となるとよけいに分からないだろうな。偽名をつかっていたかもしれん。」
「どうしてですか?」
「皇帝軍はいま、強い超能力者を集めている。地球にいるマーズとかいう超能力者と戦うためらしいが・・・。超A級ともなれば強制的に軍につれていかれるさ。それがレジスタンスメンバーだなんて知れれば、見せしめに家族全員抹殺されるだろう。何も超能力者に限ったことじゃないさ。レジスタンスの連中には家族に害が及ばないように偽名の奴も名無しの奴もいっぱいいる。そんな世界だ・・・。」
 
 ルイは兵士達の言葉を思い出していた。
 洗脳して使う、とか言っていた。
 では、姉さんは、超A級超能力者の彼女は、もう洗脳されているのだろうか?
 ・・・姉さんは私をかばうために自ら志願して軍に身を投じたのだろうか?
 
 ルイはあえてこの時、姉のことについては何も考えないことにした。
 ロゼは、この星の平和のために、と言い残して家を出た。
 ならば私も、この星の平和のために戦う。
 
 
 ルイはポケットにしまってあった小枝を携帯用の栽培カプセルに挿し木した。
 いつかこの星に平和が訪れた時、この花とともに暮らしたい。
 私を戦いの決意に導いた、名も知らぬ彼のことを忘れない。
 
 名も知らぬ花の香りを一生忘れられないように・・・。

 

 

epilog

 

 

 むせかえるような甘い芳香が見せた長い回想からルイが引き戻されたのは、庭先に止まったエアカーの音であった。
 
「おはよう、ルイ。うーん。いい香りだね。」
「おはよう、マーズ。」
「金木犀が咲いているんだね。」
「キンモクセイ?」
「ああ、俺の故郷ではそう呼んでる。」
「そうなの。金木犀・・・。そういう名前だったのね。」
      
 第八番惑星でもよほど限られた場所にしか咲いていなかったらしく、誰もその名を知るものはいなかった。
 植民星であったころは、軍事の役に立たない研究は禁止されていたし、そういった専門書もことごとく失われていたので調べることすら難しかったのだ。
 
 しかしそれでいい、とルイは思っていた。
 名前を知らなくても、私はこの花を知っているのだから・・・。
 名前を知らないあの人のことを、私が確かに知っているように・・・。
    
 それでもこうしてマーズから花の名を告げられると、嬉しさと懐かしさがこみあげる。
 こぼれそうになる涙を隠すように、ルイは軽やかに踵を返し、おどけた調子で喋りながら家の中に走っていった。
 
「きゃー。もうこんな時間だわー。すぐ朝ご飯にするからまっててねー。もう、姉さんったら、支度できてるー?」
   
 花は一週間ほどのあいだ、忘れられない芳香を漂わせてくれるだろう。 
 
 これからさき、誰かと恋に落ちて、愛し合う日が来るとしても、毎年この花が咲く時期だけはあの人のことを考えていたい。
 
 名前も知らぬあの人のことを・・・。

 

end

 


ルイちゃんがいつどのようにしてレジスタンスに身を投じたのか。
TVで語られなかった部分というのは妄想のし甲斐がありますね。
ゆみさん、ナーイス。
香りに誘われる思い出ってロマンティック。
ルイちゃんのそれは、ちょっと哀しいけれども。

2002.9.23 きり

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