soup
ゆみ58さま
温かいスープや、淹れたてのコーヒーの湯気が、窓ガラスを少し曇らせていた。
外は一面の雪景色。
今年ももう残り少ない。
緯度の高いところにあるギシン星の首都は、冬になると雪に閉ざされる日が多くなる。
むろん、道路に埋め込まれた除雪装置で交通が麻痺するようなことはなく、行き届いた行政のおかげで、凍死者をだすようなことも、今はもうない。
いつものように、ロゼとルイの姉妹と朝食をともにしたタケルは食後のコーヒーを口にしながらぼんやりと真っ白な庭を眺めていた。
慌しい一日が始まる前のくつろぎ。
その静けさを打ち破ったのは、ダイニングチェアが倒れる音だった。
タケルが驚いて振り向くと、ロゼが蒼白な顔に口元を両手で押さえて立っていた。
あまりに急に立ち上がったために倒れたのであろうチェアを避けるように、ロゼはバスルームに駆け込んでいった。
「ロゼ!!」
あわてて追いかけようとするタケルを、キッチンから出てきたルイが制した。
「大丈夫、私が行くわ」
疲れているのだろうか?
確かに彼女の仕事はその量もさることながら、交渉事や、重大な決裁など、神経を酷使する仕事が大半を占める。
ルイはロゼの変調に気づいているようだったから、昨夜あたりから症状がでてきていたのかもしれない。
タケルは心配で席を立ったものの、女性ふたりがはいっているバスルームに、ずかずかと踏み込むのは気が引けて、自然と扉近くでたたずむ格好になった。
「姉さん、だから言ったでしょ。もう無理しないで今日は休みなさい」
やはり嘔吐しているらしいロゼの背中をさすりながらルイがたしなめている。
「ダメよ。こんなことで・・・病気じゃないんだし」
「もう。姉さんってば、強情なんだから」
「大丈夫、自分の体のことだからちゃんと分かってるわ。それより、マーズにはまだ言わないでね」
「えっ?マーズには内緒なの?」
「・・・ちゃんとできたってわかってからにしたいの。まだ今の段階じゃ日が浅すぎるわ」
タケルは姉妹に気づかれないようにそっと扉の影から退いて、ダイニングルームに戻ってきた。
椅子に腰掛けてから、息を整え、姉妹の会話を反芻する。
嘔吐するロゼ・・・病気じゃない・・・できたってわかってから?
できた!?
自分の顔は、先ほどのロゼと同じほど蒼くなっているかもしれない。
いや、なにも断じて、絶望したりしているわけではない。
ただ、なんというか、ショックだった。
信じられないというか・・・なんというのか・・・。
二人は確かにそういう関係にはあるのだが、まだ年齢的にも若く、なにより地球とギシン星の平和の架け橋となるという使命がある。
星間ワープなどを伴う仕事に従事する女性は、健康上の理由から、生殖機能を一時的に停止させておく薬を飲むのだそうで、ロゼもそうしていると言っていた。
ではなぜ?いつ?本当に?
タケルの心は混乱を極め、その顔色はまさに青くなったり赤くなったり忙しかった。
それにしてもなぜ俺には内緒なんだ?
ちゃんとできたとわかってから、と言っていたが、あまりにも他人行儀というか、何事も話し合い、支えあってきた二人の関係からすればとても不自然な気がした。
(まさか、俺以外の?・・・な、なんてわけないじゃないか!)
早朝から降ってわいたようなショックのために、とんでもないことを考えてしまった自分を自ら叱責しているところへ、ルイに付き添われながらロゼが戻ってきた。
「ロ、ロゼ。大丈夫・・・かい?」
どう見ても大丈夫ではなさそうな顔色でロゼは弱々しく微笑んで見せた。
「大丈夫よ、マーズ。ごめんなさい。心配かけて」
「あ、あの・・・」
なにか言いかけようかととまどうタケルの言葉をロゼが遮った。
「さあ、そろそろ出かけなきゃ、遅刻だわ」
さっとキッチンへ下げていくプレートには、朝食が半分以上残されていた。
エアカーのなかでも、やはりタケルはなにも聞くことが出来なかった。
男としてふがいないと情けなく思いながらも、隠しておきたいという彼女の気持ちを考えると、なにも言い出すことができなかった。
(勘違いかもしれないし・・・できたって言っても・・・)
とりあえずロゼが自分に打ち明けるまでは、普段通りに振る舞おう。
タケルの決心をさらに揺るがせる出来事はその日のうちに起こった。
午後、タケルは激務の合間をぬって、様子を確かめようとロゼをさがしていた。
通信室に彼女の波動を感じ取ったタケルは、そっとなかの様子をうかがった。
すると、なんと通信モニターに映っているのは、地球にいる母、明神静子ではないか。
懐かしい母はいかにも楽しそうにころころと声をあげて笑っている。
「そう、タケルには内緒なのね」
「ええ、ちゃんとできたってわかってからにします。ぬかよろこびさせたくないし」
「そうね、でもロゼ、あなたならきっと大丈夫よ。タケルが喜ぶ顔がみたいわ」
「いろいろ教えて頂いてありがとうございました。結果はまたご報告します」
「楽しみにまってるわ。体にくれぐれも気をつけて、無理は禁物よ」
「はい。ではまた」
通信が終わる気配にタケルは、朝と同じように扉の影からそっと身を引いた。
(母さんに相談してたんだ!・・・もう間違い、ない)
自分のデスクについてからも、タケルの頭のなかにはひとつの言葉がぐるぐると回っていた。
(できた・・・。)
いくら超能力者とはいえ、女性細かい心の動き、女性心理、おんなごころという代物には理解を欠いている自覚のあるタケルであった。
なぜ、俺に隠したがるのか、できていなかったとき、ダメだったときに俺ががっかりするから・・・だっていうのか?
でもそのときもっと傷つくのはロゼじゃないか。
やっぱり話し合おう、ルイと、母さんとの会話を聞いてしまったことを言ってしまおう。
そして・・・そして?
できた・・・とわかってから、告げるのか?一生に一度の言葉を?
それから小一時間ほどは、仕事はなにも手につかなかった。
何十回かの大きなため息と、呟くような独り言と、洗いざらしの髪を何度ももみくちゃにして・・・顔を赤らめて・・・。
そしてタケルは決めた。
(来年の、一番はじめの瞬間に・・・)
首都の無数の灯りが、すぐ足下からはるか地平まで、宝石箱のように散りばめられている。
夜景スポットとしてカップルに人気のこの山頂は、今夜は一層の人だかりであった。
去っていく年の、そして新しく来る年へのカウントダウンが行われるのだ。
その告白をするのには、すこし俗な感じもしたが、あえてタケルはこの場所を選んだ。
ギシン星の中心が見渡せるこの場所で、そして彼のもうひとつの故郷、地球も含まれるであろう、天上の星々に近いこの場所で・・・。
「寒くないかい?」
「ええ。たくさん着込んできたわ」
タケルは優しく微笑むと、その体温を伝えるように恋人の肩を抱いた。
彼女は、彼の広い胸にゆっくりと頭を傾け、さらさらとした髪をすり寄せる。
「綺麗ね・・・。」
「ああ・・・。」
山頂の広場自体には特に灯りはなく、すぐ後ろのカーポートの電灯で、かろうじて隣にいるひとの顔が分かる程度だ。
皆、一様に眼下にひろがる平野を向いて立っている。
どちらからともなく唇が近づき、触れあう。
もう一度、そしてもう少し長く・・・。
凍えていた唇がすぐに温かくなる。
恥ずかしそうに視線をうつむけるロゼを、タケルは愛おしさをこめて背中から抱きしめなおした。
そのとき臨時に設置された小さなステージからカウントダウンのコールが始まった。
「ロゼ・・・聞いて欲しいことがある」
「・・・?マーズ・・・私もよ」
タケルは、はっと息を吸い込みそうになったが、なんとかとどまった。
「だめだよ。俺が先だ。カウントダウンが終わったら言おうって決めてた」
ロゼが青い瞳を夜明かりに煌めかせながら微笑む。
「私もよ。決めてたの。新しい年の最初にあなたに言おうって」
タケルの心に数日前のロゼの言葉がリフレインする。
(ちゃんとできたってわかってから・・・)
「だめだ!君のを聞く前に俺はどうしても言わなくちゃいけないんだ!」
なぜかムキになるタケルを不思議そうに見つめていたが、怒号のように辺りを包む、カウントダウンのかけ声は、もう、一桁を切っていた。
「じゃあ、二人一緒に言いましょう、マーズ!」
反論する暇はもうなかった。
「3!2!1!! HAPPY NEW YEAR!!!」
「ロゼ!! け、・・・ゲホッゴホッゴホッ」
タケルは激しく咳込んだ。
集まった人々の新年のかけ声と、大音響で始まったバンドの演奏に打ち勝とうと大声をだすつもりが、冷たい空気にむせてしまったのだ。
その背中をさすりながら、ロゼはにっこり笑うと、彼の耳元に口を近づけて言った。
「お雑煮が、できたの」
苦しさのあまり涙目になりながらタケルはロゼを呆然と見やった。
「え?」
「できたの・・・。お雑煮が。あなたの好きな味噌仕立ての」
「へ?雑煮?」
あまりにまぬけたような顔をするタケルにロゼは続けた。
「明神夫人に、あなたのお母様に聞いたの。新年にいただくんでしょ?」
「な、なんで?」
「あなたね、このまえ寝言で、母さん、みそ汁がのみたいよ〜 っていったの」
ロゼはタケルの口まねをして、クスクスと笑っている。
「それでね、作り方を明神夫人に聞いたら、せっかくだからお雑煮にしたらって・・・。」
「そ、そうだったんだ・・・。」
「そうなの。それが、お味噌がここでは手に入らないでしょ。それ聞いてから日にちもなかったし、レシピに近いように、発酵を私なりに科学的に解析して促進したんだけど、一回は大失敗しちゃって、試食して食あたりしたりして・・・大変だったのよ」
「あ、あの、朝からもどしたりしてた・・・?」
「ええ。ごめんなさい。心配してくれてたでしょ。でも、どうしてもちゃんとできてからあなたに言ってびっくりさせたかったの。それに先に言っておいてできなかったら、がっかりしてホームシックになっちゃったりしたら困るでしょ」
「そう・・・だ・・ね」
いつもより饒舌に語るロゼの美しい顔は、すっかり上気している。
その愛らしい様子をみて、タケルは笑った。
「ハッハッハッハッハッハッハ」
「もう、笑わないでよ、いじわるね」
腹を抱えてタケルは笑い続けた。
笑いがとまらない。
大いなる勘違いと、愛しい人がそばにいる幸せに。
「うん!旨い!」
零下の寒さからもどった二人を暖めたのは、ロゼの手製の雑煮だった。
件の味噌もよくできていて、具の切り方までも静子の作るそれとそっくり同じに仕上がっていた。
「よかった。あなたによろこんでもらえて」
苦労が報われたロゼもまた、満足そうに微笑んでいた。
「姉さんもよかったわね。これでほっとしたわ、私も。夜中に、なんか訳の分からない化学実験をやってるかと思えば、料理だっていうんだもの。ぜったい食べちゃダメっていった時にはもう遅かったわ」
「そんなにひどかったのかい?」
一瞬、箸をとめるタケルに、ルイはいたずらっぽく首をすくめてみせた。
「まさにお手上げ。ああ、でも、あなたが今食べてるのは大丈夫よ。私と明神夫人の監修の元で、一からロゼが作り直したものだから」
タケルはにっこりと笑うと、またおいしそうに雑煮をすすりはじめた。
「さあ、私はこれから新年パーティにでかけるから、お二人さんはごゆっくり」
軽く敬礼するようにひらりと手を振ると、ルイは出かけていった。
「おかわり、あるわよ」
「ああ。お願いするよ」
塗りの椀とまではいかないが、形としてはそれに近いとも言える、木彫りの器を差し出す。
受け取ったロゼがふいに動きをとめた。
「ねえ、そういえば、カウントダウンのとき、あなた何を言おうとしてたの?」
はっとした表情はごまかしようがなかったが、タケルはそれでもなんとかその場をとりつくろおうとした。
「え?えっと、その・・・」
「なに?」
無邪気に彼を覗き込む青い瞳に引かれるように、タケルは席を立って彼女のそばに回り込んだ。
均整のとれた細めの見かけより、ずっと厚くて広い胸に彼女を抱き込み、甘い香りの漂う髪に顔を埋める。
「ロゼ、愛してる・・・世界中の、宇宙中の誰よりも・・・って言いたかったんだ」
「マーズ・・・」
「大切なんだ。君のことがなによりも。だから、ひとつ約束して欲しい」
「ええ」
「なにも、俺たちの間では何も隠し事はしないでいよう」
ロゼはタケルの胸の中でほほえんでいた。
(私の体調のこと、そんなに気をつかってたんだわ)
「わかったわ」
「いいことも、わるいことも、どんなに短い間でも、なんでも話し合って、二人で共有しよう」
こくりと肯いたその顎に、優しく指をかけて、タケルは彼女を仰向かせた。
「Happy new year」
「Happy new year」
熱いキスは、彼の故郷のスープの味がした。
A Happy New Year…
From ゆみ58
新年あけましておめでとうございます。
物語は始めどきどき、終わりくすくす。
ギシン星のお正月も無事に明けたようで、
ようございました。
おもしろおかしいお正月話を
ありがとうございました。
2003.1.1 きりIndex Novels
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