Precious
ゆみ58さま
もう誰にもわたさない…。
(この日のために俺達は、17年間を生きてきたのかもしれない。)
二つに分かれたひとつの魂が、はるか銀河を越えて、戦いの宿命を超えて、再びめぐりあえた、この日のために。
吸い寄せられるように握り合った同じ形の手から手へ、過ぎた月日が流れ込む。
互いの想いが流れ込む。
俺達に命を授けた父と母はすでにない。
悲しみ、痛み、苦しみ。
涙があふれたのは、それらが怒涛のごとくに脳裏を駆けたからばかりではない。
引き裂かれた時間を二人で共有する喜びが、温かい涙となって流れ落ちたのだ。
明神タケルは、兄が眠る病室に続く廊下を歩きながら、この一日を振り返っていた。
激動の長い一日を。
マーグは、かなり衰弱していた。
双子の弟マーズへの情報漏えいの咎により投獄され、そして爆薬を装着されてその弟との激しい戦いを強いられたのだ。
白い病室の扉をそっと開ける。
もうこれで何度目だろう。
兄のやすらかな寝顔をみないと落ち着かない。
これが夢やまぼろしでないと、確認せずにはいられない。
足音を忍ばせ、規則正しく寝息をたてる青年の顔を間近に覗き込む。
(兄さん…マーグ…)
緑の髪、白すぎる頬、透き通る皮膚に赤みがさした唇…。
双子とはいえ、自分と比べて、華奢で、そして儚い印象が漂うように思える。
そのとき、なによりも彼を印象付ける、深く青い瞳がゆっくりと開いた。
「…マーズ」
聞こえるか、聞こえないかの小さな声で兄はそう呟くと、穏やかな微笑をうかべ、そして安心しきったようにまた眠ってしまった。
話したいことがたくさんある。
聞きたいことかたくさんある。
膨大な記憶を、鮮烈なビジョンを伝えた兄の形のよい手を、そっと握る。
やすらかな眠りを妨げぬように、それとも、白く華奢な手を壊してしまうことを畏れるように…。
そして、その手は、暖かかった。
眠る兄を見舞った後、タケルは自室のベッドに横たわった。
…マーグ。
やっと会えた。
その感激と、そしてはじめて知った自分の生い立ちに、タケルはなかなか寝付くことができなかった。
しかし、彼とても、その兄と強いられた戦闘で体は疲労し、やがて健やかな眠りに落ちていった。
何時間か、泥のように眠っていたのだろう。
なにか心地のよいぬくもりが頬に触れ、彼の意識はやっとゆっくりと浮上した。
「…マーグ!?」
タケルは、弾かれたように、ガバッと上半身を起こした。
「すまない…起こしてしまって」
とまどいがちに、だが優しい笑顔を浮かべて、マーグが言った。
「なんだか、夢だったんじゃないかと…マーズ、お前に会えたのが、かつて幾度も見た夢だったんじゃないかと…。こうやってお前の寝顔を間近にみてさえも、この手で触れてみずにはいられなかった」
狂おしいほどに懐かしいと感じた声が、はるか銀河を超えたテレパシーでなく、この部屋の空気を震えさせて、耳に伝わる。
タケルの視界はたちまちぼやけていった。
「兄さん…マーグ!!」
ベッドを降り、飛びつくようにすがりつく。
すりよせる頬に、互いの涙が熱く、とめどなく伝っていた。
どれぐらいの時間、そうしていただろう。
涙がかれても、ずっとふたりは頬を寄せていた。
乾いて肌に残った塩分に、少しかゆみをおぼえたとき、そして相手もそうだと気づいたとき、二人は、ようやくクスっと小さく笑い声をあげて抱擁をといた。
「あの、さ…兄さん」
優しい微笑を美しい顔にゆったりと浮かべ、マーグの深く青い瞳が見つめている。
「どうした?」
「今夜は…ここでいっしょに眠ってほしい・・」
「ああ、ああ。そうしよう、マーズ。17年ぶりに、ふたりでいっしょに…」
子供じみているとは二人とも思わなかった。
自分でも不思議なほどに素直で、自然な気持ちだった。
壁に据え付けられたベッドは、まだ完全に大人の体ではないというものの、若い二人の青年には確かに小さいはずだったが、狭苦しくは感じなかった。
腕を互いの腕にからめ、額を寄せ合うと、不思議なほどに心地よく、落ち着く。
母の胎内で、そして、この世に生まれてからも、俺達はこうして眠っていたに違いない。
暖かく、やわらかく、何の不安さえも感じられない。
満ち足りた、そう、満ち足りた…。
欠けていた自分の一部を取り戻したのだから。
幸せなまどろみが二人をつつむ。
呼吸が一つに合わさり、触れあった額から、体から、意識が一つに溶けていく。
翌朝、双子の兄弟の眠りを妨げたのは、伊集院ナオトのわめき声だった。
「おい、タケル!!…わあっ!!」
マーグが医務室からいなくなったとの報告に、慌ててタケルを起こしにきたナオトは、同僚のベッドに抱き合って眠る二人の姿を発見したのだった。
なぜか赤面している自分に気づき、照れ隠しにぶっきらぼうな調子で言い放つ。
「おいおい!医務室がモヌケのカラだって…、心配かけやがって!子犬っころみたいにくっついて寝てやがるんだから。窮屈だろうが!!」
起きあがった二人は顔を見合わせてにっこりと笑顔を交わしている。
ナオトはさらに視線をそらしながら、大声をあげねばならなかった。
「あー、もー!みてらんねえぜ。タケル、おまえ非番だかなんだか知らねえが、もう起きて二人で謝ってこい、みんな心配してんだぞ!!わかったな!」
肩をいからせて去っていくナオトの後ろ姿をドアがスライドして隠していく。
ふたたび室内に静けさが戻った。
さわやかな朝日さえささぬ、土星基地のこの部屋で。
だが、これほどまでにきらきらと輝き、希望に満ちた朝をむかえたのは、生まれて初めてのようにさえ思える。
世界の全てが新しく見える。
二つに分かれた魂が、また一つに溶けて、ふたりのなかにあるのだから。
まだ戦いはつづく。
けれど、もう何も怖れることはない。
叫びだしたい幸せを、タケルは、ただ一言に込めた。
「おはよう、兄さん」
そのときの、マーグの笑顔を忘れない。
優しく、穏やかで、神々しいほどに清らかな。
高雅に輝き、儚く淡く透き通る…。
愛しい兄の笑顔を、永遠に忘れない。
end
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