a woman

   ゆみ58さま

 

 

 

 彼のことを、嫌っていたわけではない。
 
 いつも自分を後ろから見守り、支え続けてくれていた温かい視線。
 ときおり励ますように肩におかれる大きな手からは、頼りがいのある上司としての感情以外のものを感じ取っていた。
 
 それに気づいたのはいつごろだっただろうか。
 少なくともクラッシャー隊に入ってすぐのことではない。
 そのころは、ひたすらタケルに憧れていた。
 憧れ。
 恋ともいえないもの。
 穏やかでいて芯の強い、そしてどこか謎めいた彼の瞳に、憧れていた。
 
 だがタケルの心の中に住む、ただ一人の女性の存在に気づいたとき、自分が彼に抱く感情が、恋でないことを知った。
 
 それからかもしれない。
 タケルが彼女を想う気持ちに触れたとき、それと同じ想いが、全く別の方向から自分に向けられていることに気づいたのだ。
 コスモクラッシャーの司令席から・・・。
 はるかケレス基地より指示を伝える映像の、彼の真摯な眼差しから・・・。
 それは、確かに温かく、ここちのよいものだった。
 
 ・・・気づいていた。
 
 生まれて初めての本当の恋。
 出会った瞬間に魂を揺さぶり、燃やし、焦がれた恋は、だが異星の雪原に儚く散った。
 
 時が流れても、無惨に傷つき凍てついたままだったその心に、はじめて熱く触れた言葉。
 
「ミカ・・・愛している」
 
 スクランブルのアラームが鳴り響く廊下で、彼女を抱きすくめた男の胸は、早鐘のように拍動していた。
 
 あれからまた、時は流れた。
 
 地球は最後の戦いに勝ち、クラッシャー隊の激務は軽減されていった。
 むろん、軍のエリート集団として、万が一に備えての訓練、整備、哨戒活動に余念はないものの、割り振られたシフト勤務は、それなりの休暇をもたらすようになってきている。
 
 何度か、こっそりと同僚の目を避けるようにして、二人で出かけた。
 
 何も、起こらなかった。
 
 ひとけのない海で、素足で波と戯れる彼女を、彼はただ砂浜にたたずみ、黙って見ていた。
 緑深い丘で、茂る大樹の木漏れ日のもとに座り、うたた寝るふりをしてそっとその広い肩にもたれても、彼はただゆったりと、彼女を支え続けていた。
 
 何も、起こらなかった。

 

 


 

 

 誰もいない、静まりかえった居住区の廊下を歩く。
 
 不思議と、誰かに見られても構わないようにさえ思えていた。
 深夜に、異性の部屋を訪れることがどのようなことか、知らない訳ではないのに。
 
 私は、彼を試したいのだろうか・・・。
 
 彼が私を愛していることを、私を求めていることを。
 心は一瞬ためらいを覚えたが、細い指はそれに反して素早くドアチャイムを押す。

 

 彼は、シャワーを浴びた後だったらしく、バスローブ姿でドアを開けると、ミカの姿をみとめて目を軽く見はった後、眉根を寄せた。
 
「どうした?」
 
 ミカはそれには答えず、彼の脇をすり抜けるようにして部屋に入った。
 
「どうしたんだ、こんな時間に・・・」
 
 夜勤でもないのに、クラッシャー隊の制服を着たままで部屋の中央にたたずむ彼女の意図をはかりかねているのだろう。
 ケンジの声は、司令室にいるときのそれと同じ、かたい声だった。
 
「なんでもありません」
 
 こちらも任務中と同じように応える。
 宿直当番以外、夜11時以降は各自自室で休息をとる規則になっているから、それを咎められるのだろうかと、ミカは思った。
 
「まあ、座れ」
 
 意外にも、軽いため息の後、ケンジの声は穏やかに変わり、ライティングテーブルの椅子を片手で持ち上げると、ミカの前に置く。
 ケンジは、几帳面な性格そのままに、バスルームに入って着替えを始めた。
 反対側の窓ガラスを何気なく見やると、Tシャツをかぶろうとする、鍛え上げられた筋肉質の広い背中が映っていた。
 
 とたんに少し、怖くなる。
 自分が何をしようとしているのか。
 
 訓練用の灰色のTシャツと、濃紺のトレーニングパンツ。
 かつては見慣れていたはずのそれが、なぜか気恥ずかしい。
 特殊繊維で作られているクラッシャー隊のユニフォームとは違い、コットン製のそれは、彼の筋肉の質感と、体のラインを浮き出させている。
 Tシャツの袖口からのびた二の腕が、やたらと目に入る。
 
 赤らむ頬に気づかれたくなくて、ミカはやや顔をそらしてうつむいた。
 
「あいにく、これしか飲み物がなくてな」
 
 ケンジはミネラルウォーターをグラスに注ぎ、ミカに手渡すと、自分もグラスを手に、ベッドの端に腰掛けた。
 
 しばしの沈黙。
 
 ケンジがグラスの水を一気に飲み干す音だけが部屋に響く。
 
 そしてまた、沈黙が訪れる。
 
「何も、聞かないんですか?」
 
 ミカはうつむいたまま呟くように言った。
 
「聞いて、欲しいのか?」
 
 穏やかなケンジの口調に、だが、ミカはキッと顔を上げた。
 なぜだか涙がでそうになった。
 悔しくて、悲しくて。
 どうして?
 自分でも、分からない。
 止めようとして、だが止まらぬ涙が一筋・・・。
 
 突然、長く節ばった指が伸びてきた。
 頬を伝う涙をたどり、大きく温かい手がミカの顔を包む。
 
 気がつけば唇を覆われていた。
 嗚咽をこらえ、震える唇に、柔らかく優しく押しつけられる・・・唇。
 ためらいがちに何度か離れ、そして温度を増して何度も重なる。
 引き締まった細い腰に、彼の腕がまわり、苦しいほどに抱き寄せる。
 
 熱い波が、経験したことのない抗いがたい波が、彼女を包みかけたとき、ふとケンジの体が離れた。
 
 いぶかしんで瞼を開くと、そこには、うなだれるようにしてケンジがたたずんでいた。
 
「・・・すまない」
 
 なぜ謝られなくてはならないのか?
 なぜそんなにこぶしを握り、震わせているのか。
 私と目を合わることすらしないままに・・・。
 
 声をあげて泣き叫びそうになるのをかろうじて堪えて、ミカはケンジの部屋を飛び出した。
 
 私は何をしにいったんだろう?
 どうして?
 馬鹿な女!
 
(アイシテイル・・・)
 
 あの言葉は嘘だったの?
 私は何を求めているの!?
 
 廊下を走りに走って自分の部屋に駆け込む。
 スライド式の自動ドアが閉まるのももどかしく、鍵をかけ、そしてベッドにわっと泣き伏す。
 泣き声を押しとどめることも出来ず、顔を埋めた枕がたちまち濡れていく。
 
 どうしてそんなに泣くの?
 彼に、抱かれたかった・・・の?
 
 今まで誰にも・・・そう、私が命を賭けて愛し、そして私のために命を散らしたあのひとにも、抱かれることは、ついに、なかった。
 
 ふと脳裏に浮かんだ、煙る金髪と哀しげな灰青色の瞳を、慌てて打ち消す。
 今は、思い出したくはなかった。
 儚く消えてしまった、激しくそして清らかな恋。
 今だけは。
 
 重い瞼を上げると机上に置いた小さな鏡の中の自分と目が合った。
 顔をそらし、鏡を伏せる。
 こんな浅ましい女の姿を見たくなかった。
 

 

 

 

 次の日、ミカは体調不良を訴え、病欠をとった。
 入隊以来はじめてのできごとに、クラッシャー隊の面々は、多少心配はしながらも、特に医務室の世話にもなっていないらしいことを知ると、おもしろおかしく勝手な推測をとばしていた。
 
「まさしく鬼の霍乱ってとこだね」
「カクランって何?アキラさん」
 
 じゃれあうようなアキラとナミダの会話にナオトが割ってはいる。
 
「へっ、あのミカも、いちおう女だってことじゃねえの?」
「あっ、なるほどね。あれって大変らしいからね」
 
 意味深に笑みを交わすナオトとアキラに、ナミダがつっかかる。
 
「どういうことだよお、教えてよお」
「ダメダメ。お子様はあちら」
「そうそう。まだダメダメ〜」
 
 賑やかな様子を尻目に、ケンジはひとり司令席で腕を組んでいた。

 

 

 一日休んだだけでミカは仕事に復帰し、そして一週間が過ぎた。

 

 

 

 

「およびでしょうか、大塚長官」
 
 呼び出しをうけて訪れた長官室からは、澄み切った青空と海原が見渡せたが、今のミカには何の感銘も与えなかった。
 似つかわしくない暗い表情を浮かべる彼女を前に、大塚はゴホンゴホンと咳払いを繰り返してから、話を切り出した。
 
「おおご苦労、ミカ。話というのはな、ゴホ、ゴホン」
 
 まごつく大塚をミカはまっすぐに見つめている。
 
「実はな、君に地球防衛大学から、研究生兼講師として、招聘が来ておる」
 
 大きな瞳をさらに見開くミカから視線をそらして、大塚は落ち着きなく髭を触りはじめた。
 
「私に、クラッシャーを辞めろと?」
「いや、辞めろという訳ではないんじゃよ。先方はかねてから、クラッシャーのメンバーをぜひと言うておったんじゃ」
「以前から話があったというのですね?」
 
 マホガニー調の机をたたかんばかりにつめよるミカの気迫に、大塚の恰幅の好い体が小さく見える。
 
「ゴ、ゴホン。あ、まあ、少数精鋭のクラッシャー隊のなかから人員を割くわけにはいかんと、断っておった・・・」
「では、なぜ今になって!それも、どうして私なんですか?」
「ウオッ、ゴホ。い、いや、花の女子大生なんてのもどうかな、なんて・・・」
 
 頬を紅潮させ、激高しながらも、ミカの頭脳はどこか冷静に答えをはじき出し、そして誘導尋問を試みた。
 
「隊長ですね?」
「い、いや、ケンジは何も・・・」
「隊長が、私を地球防衛大学へやれとおっしゃったんですね」
「いや、ケンジは何も、大学へと言ったわけではない」
「・・・では、隊長はどうおっしゃったんです?」
「う・・・」
 
 たちまち言葉に詰まる大塚をこれ以上責める気はなかった。
 
「考えさせて頂きます」
 
 ミカは丁寧に一礼すると、長官室を辞した。

 

 

 まっすぐにクラッシャー隊専用のブリーフィングルームを目指す。
 軽やかな、体重を感じさせない歩調が、小走りになる。
 定時連絡が終わったばかりのブリーフィングルームには隊員全員がくつろいだ雰囲気で揃っていた。
 だが入り口にたたずんだままのミカのただならぬ気配を察知したのか、一瞬にして空気が引き締まり、視線が彼女に集まった。
 さぞや険しくたかぶった表情をしているのだろうと、ミカは心のどこかで己を分析しながら、それでも次の行動を止めることが出来なかった。
 
「隊長!どうして私をクラッシャー隊から追い出すんですか!?」
 
 皆のいる前で叫ぶ。
 
「なんだって!?」
「えっ?」
 
 ナオトとアキラが同時に声を発し、ナミダはバタリと椅子を後ろに倒して、ミカのもとに駆け寄ってきた。
 
「どういうことなの、ミカさん!」
 
 手を取ろうとするナミダを振り払うように、ミカはケンジの前に進み出た。
 
「どうしてなんですか?私のことが邪魔なんですか?私がクラッシャー失格とでも!?」
 
 取り乱して叫ぶミカを、だれも止めることは出来なかった。
 いつも朗らかで優しく、そしてどんな戦いの中でも冷静な彼女が、次々と溢れる涙を隠そうとも、拭おうともしない。
 
「落ち着け、ミカ」
 
 ケンジは座したまま、半ば瞼を閉じるようにしてゆったりと諭した。
 
「落ち着いていられるわけがないじゃないですか!教えてください。どうして私がクラッシャーを辞めなきゃいけないんですか!」
 
 おさまる気配のないミカに対してケンジはあくまで冷静に対応する。
 
「ミカにとって悪い話ではないはずだ。お前はまだ若い。いろんな経験を積んだほうがいい。」
「だからって、どうして急に、私だけがみんなと離れなくちゃならないんですか?そんなの納得できません!・・・隊長は、そんなに私が嫌いなんですか!?」
「嫌いなどというわけがない!!・・・そのほうが、お前の為になるんだ」
「そんなの、勝手に決めないでください。私の生き方は私が決めます。それを・・・隊長に指図される覚えはありません!」
 
 ケンジの鉄面皮が剥がれ始め、明らかに狼狽の色が浮かんできていた。
 激しく、しかしある種の熱を帯びながら二人は沈黙のまま、睨み合っていた。

 

 その気配を、一番早く察知したのはナオトだった。
 
「あっ、いっけねえや!!さっきの点検でコスモクラッシャーの整備設定間違えちまった!」
 
 ガタっと椅子の音をたてて立ち上がる。
 
「おい、アキラ、ナミダ!早く直さねえと、定時パトロールに間にあわねえ!行くぞ、ほら!!」
「でも、設定って言ったって・・・」
「ごちゃごちゃ言うな、アキラ!早くしろナミダ!」
 
 ナオトは釈然としない二人を引きずるようにして、あっという間に部屋を退出してしまった。

 

 

 

 

 ケンジとミカは二人きりになっても、どちらも口を開くこともなく、じっと向かい合っていた。
 唇を噛みしめるミカの大きな瞳から、音もなく涙の粒がこぼれ続ける。
 
 最初に動いたのはケンジだった。
 
 大きくほうっと息を吐き、ゆっくりと立ち上がり、静かにミカを抱きしめる。
 
 温かく大きな胸に顔を埋め、ミカはついに声をあげて泣きだした。
 不器用に、おずおずとケンジの手がミカの髪を梳きはじめ、ささやくように言葉をかける。
 
「・・・悪かった」
 
 嗚咽が止まらぬまま、ミカはケンジの胸に額を擦りつけていた。
 
「俺は、恐ろしくなってしまった。お前を死地に送る命令を下す、俺自身の立場が・・・。そしてなにより、お前が、常に危険を伴う任務に着いているということが・・・」
 
 華奢な若い体を抱きしめる両腕に、力がこもる。
 
「俺は、お前を、失いたくない。日増しに大きくなっていく気持ちが・・・止められない!!」
 
 冷徹にして勇敢な、若き地球防衛軍のエリート幹部が、声を震わせていた。
 
 身動きできぬほどに抱きすくめられ、彼のはやる胸の鼓動を直に頬に感じながら、ミカの気持ちは、徐々に安らいでいく。
 感情の暴走はもはや止り、純粋な気持ちだけが残り、彼に問いかけた。
 
「だから、私を遠ざけようとしたんですか?」
「・・・ああ」
「私と、一緒にいたいとは、側にいたいとは思ってくれないんですか?」
「思わないはずがない!」
「じゃあなぜ?」
「俺はもうコスモクラッシャーに乗ることは出来ない。ともに戦えないなら、お前を守ることができないのなら・・・安全なところにいてほしい」
「・・・」
「馬鹿な男だと思うか?このままでは俺は、任務を全うできず、お前への気持ちを抑えることも出来ず・・・」
 
 ふいにミカは顔を上げた。
 泣きはらした目はまだ濡れていたが、毅然とケンジを見上げ、よく通る声ではっきりと言った。
 
「隊長は間違っています。隊長は私たちといつも一緒に戦っています。たとえコスモクラッシャーに乗っていなくても・・・。そんな隊長の思いが、指令とともにインカムから聞こえて・・・それでいつも私は励まされているんですから」
 
「・・・」
 
 今度はケンジが黙って聞く番だった。
 逞しい腕の中にすっぽりと収まったミカの、強く真っ直ぐな声音がそうさせる。

「私は・・・。私は隊長と一緒にいたい。何もこわくない。何も失うものもない。隊長がいてくれるなら・・・。だから・・・」
 
 言葉ごと、唇が塞がれた。
 
 強く、熱く。
 
 ミカのすべらかな頬に再び涙が伝う。
 だがそれは、温かい喜びの涙であった。

 

 

 

 

 夕刻、定時ミーティングの時刻になったというのに、部屋の中には、ナオトとアキラ、そしてナミダしかいない。
 
「あれえ?おっかしいなあ。隊長いつもなら10秒遅刻したって大目玉なのに、どうしたんだろう。ミカさんまで・・・。ひょっとして昼間のことでもめてるのかなあ。僕探してくるよ!」
 
 そわそわと落ち着かない様子でナミダが走り出していく。
 
 それを見送ってから、ナオトは机の上に足を放り出した。
 
「やってらんねえなあ・・・」
「なんだよ、ナオト。おまえ心配じゃないのかよ?」
「ほい、これ見ろよ」
 
 ナオトがアキラに差し出した一枚の紙。

 それはミカの外出届だった。
 
「ここにおいてあったぜ」
「なになに?私事都合により外出。行き先空欄。帰着時刻空欄。やっぱやばいんじゃないの、ミカ」
「おお、おお!ヤバい、ヤバいよなあ」
 
 ナオトは大仰にうなずき、腕をなかば回すようにして掲げると、リストウォッチ型の端末を顔の前で操作した。
 
「おっやあ〜?隊長の端末が応答しないなあ。故障かあ?まっさか、電源を切ってるなんてこたあ、ねえよなあ〜?」
 
 訳知り顔でひとりにやにやとするナオトにアキラがイライラと問いかける。
 
「なんだよ、そりゃあ!?」
「まあ、そういうことだ。心配ないってこった。ミカは間違いなくクラッシャーに残るさ。いや、まあ別の心配がないってこともないが、な」
「なんだよ、教えろよ!」
「わからんかなあ〜?ま、お前にはわからんだろうな。なんとかより食い気だからな、お前は」
 
 ナオトは両手をぱっと天に差し伸べて言った。
 
「わがクラッシャー隊の紅一点に栄光あれ!」

 

 

 

 

 夜のとばりが降りつつあるバトルキャンプ。
 
 広大な敷地と外部の公道を隔てるゲートに、基地内から一台の車が走り寄った。
 
 門番を任された隊員が、不審そうに運転席を覗きこもうとするのを避けるように、ドライバーはウインドウを細く開け、IDカードを突き出した。
 
「特務だ」
 
 短く告げる声と、無表情な、冷淡とさえ言われることのある顔を知らぬ者は、この基地にはいない。
 
「失礼いたしました」
 
 門番は姿勢を正して敬礼すると、ゲートを開けた。

 

 助手席に座るミカがおかしそうに言う。
 
「いいんですか、特務だなんて。ミーティングもすっぽかしちゃったのに」
「すっぽかしちゃいないさ。彼らの自主性に任せただけだ。・・・ミーティングが終わってから出かけたのでは、門限までに帰れない」
「あら!?規則のオニの隊長らしくないご発言ですね。その点、私はちゃんと外出届を出してきましたけど?」
 
 ハンドルを握り、ライトで照らされたセンターラインを見つめながら、ケンジがフッと笑う。
 
 そんな彼の横顔を見て、ミカはいたずらっぽく微笑み、やにわに爆弾発言を行った。
 
「でも外泊届を忘れちゃったわ!」
 
 運転者の技量と精神力をもってしても、微かにタイヤのトレースが乱れた。
 
「規則破りで降格されて、またコスモクラッシャーに乗るっていうのもいいかもしれんな」
 
 この沈着冷静な男の口ぶりは、どこまでが冗談で、どこまでが本気かわからなかった。
 
 そんなケンジらしさが、とてもうれしくて、楽しくて、ミカは声を上げて笑った。
 いつも、どんなときでも、クラッシャー隊をぱっと明るくさせる、華やかで、爽やかな、とびきりの笑い声で。
 
「やはりクラッシャーにはお前が必要だ。・・・いや、はっきり言おう。ミカ、俺にはお前が必要だ」
 
 そのとき車は右カーブを曲がり、眼前には、月に煌く夜の海が一面に広がった。
 ゆっくりと減速し、崖上の小さな見晴台となった路側帯に停車する。
 
 ミカの潤んだ大きな瞳が、月光を映してきらきらと輝いている。
 ケンジは軽く息を吸い込むと、その美しい瞳を覗き込みながら、もう一度言った。
 
「ミカ、俺にはお前が必要だ・・・愛している」
 
 かすれる声がミカの唇を包み込む。
 広く、温かい胸が、逞しい腕が、華奢な体を優しく包み込む。
 
 夕凪を過ぎ、髪を激しくなぶり始めた潮風から、彼女を守るように・・・。
 夜の世界を支配する月の光から、いま華やかに咲きはじめた、彼女の女性としての美しさを隠すように・・・。
 
 恋人たちの夜が始まる。
 
 ひとりの男と、そして、ひとりの女の・・・。

 

 

 

                     end

 

  

 

背景 東雲さま

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