present

   ゆみ58さま

 

1

 

「はい、これ」
 
 せわしない朝のひととき。
 ルイは姉に白い箱を一つ渡した。
 
「なに、これ?」
 
 受け取りながら怪訝な顔をする姉に、ルイは細い眉を片方上げて見せた。
 
「ケーキ」
「ケーキって…」
「マーズのお誕生日でしょ。冷やしとかなくていいのにしといたから、持って歩いて大丈夫よ」
「?」
「ちゃんと気をつかってるのよ。どこで食べても、いつ食べてもいいようにってね」
「…ありがとう」
 
 意図がちゃんと伝わったのかどうか、いたずらっぽく微笑んで姉に駄目押ししておく。
 
「…で、今年はどこでお祝いするのかしら、お二人さんは?ドライブデート、それとも彼の家でごゆっくり?」
「ルイ!」
 
 たちまち赤く頬を染める姉を満足そうに見やって、心底楽しそうに笑いながら、ルイは小気味よく踵を返した。
 
「じゃ、そういうことで。お先に行ってきます」

 

 静かになったリビングに、爽やかな風が吹き込んできた。
 
「お誕生日…か」
 
 もうそんな季節になったのだ。
 庭の緑が色濃く、薫る。
 
 もちろんこの日を忘れていたわけではない。
 ちょうど去年のこの日、はじめて彼を、彼の生家に案内したのだった。
 
 あれから一年、あっという間に過ぎたように思う。
 彼とともに働き、過ごす日々…。
 
 さらにその一年前には、こんな日を過ごすことになるなど、思ってもみなかった。
 
 破壊されたギシン星の復興に、くすぶる残党の制圧に、身も心も疲弊しながら、それでも平和を夢見て尽力していた。
 
 マーズの様子が気にならなかった訳ではない。
 しかし、あえて忘れようとしていた。
 今は、遠く離れた人に想いを馳せている時ではないと。
 
 …マーグが顕れ、マーズの命の危機を知るまでは…。
 
 そしてまた、身を切るような最後の戦いの日々。
 ズールを倒し、やっと二人の愛を確かめて、だが落ち着く暇もなく、ギシン星へ戻ってきたのだった。
 
 
「ロゼ、俺と一緒に地球へ行こう」
 
 
 かつてはその誘いを断り、この星に残った。
 
 生きてさえいればきっと会える…そう自分を慰めたのは、もう会えないかもしれないという、別れの決意の裏返しだった。
 それは、はるか銀河を隔てた、距離だけの問題ではなかった。
 
 もう会わない方がいいとさえ思っていた。
 マーグの死を、生き様を、それぞれの胸に抱いて永い年月を重ねていく。
 それが、二人の間に芽生えたばかりの淡い、だが確かな感情に対する、最も良い選択だと思っていた。
 
 縁があれば、いや、何年も、何十年もの贖罪の日々の後でマーグが赦してくれたなら、きっとまたマーズに会えるときがくるのかもしれない。
 生きてこの世で会えるのか、あの美しく儚い人の住まう国でなのか…。
 
 あれから時は流れた。
 時というものの不思議さを考えずにはいられない。

 

 

 

 エアカーはすでにビルの地下駐車場に滑り込んでいた。
 思いにふけるあまりに、すぐには車から降りられなかった。
 エンジンを止め、もうしばし一人の時間を過ごそうとしたとき…。
 
 コツコツとフロントガラスが叩かれた。
 はっと見上げると、屈託のない笑顔がそこにあった。
 
「マーズ…」
 
 慌ててドアを開ける。
 
「おはよう、ロゼ」
 
 彼はちらりと辺りを見回して、人影のないことを確かめると、素早く彼女の唇にキスをした。
 
「あ…」
 
 たちまちロゼの頬が朱に染まる。
 
「ぼんやりしてるから…。目が覚めた?」
「え、ええ。」
「よし。じゃあ、今日は手早く仕事を片づけて、とっとと抜けだそう」
 
 苦笑するロゼの唇が再び塞がれる。
 今度はもう少しだけ長く…。

 

 

 

 

 夕刻をまわってもまだ空は明るさを残していた。
 徐々に暮れゆく庭の風景を楽しむために、二人はリビングを出た。
 
緑が競うように芽吹き、生い茂り、心地よい風にその香りをうつしている。
 十数年間手入れされることのなかったイデア邸の庭は、それでも当時から植わっている木がそのほとんどを占めていた。
 
 刈り込まれることもなかった故に、自然に淘汰されながらも力強く生育した木々。
 
「綺麗、ね…。花がたくさんある春も好きだけど、私はこの緑の濃い季節が一番好き」
 
 うっとりと呟くロゼを、タケルは優しく後ろから抱きしめた。
 
「ああ…」
 
 若葉色の髪に軽く口づけ、彼女の唇を誘う。
 ロゼは、彼の腕の中で振り向いた。
 しっとりと重なった唇が、やがて激しくお互いを奪い合う。
 
 人目を気にすることもなく、時間を気にすることもなく。
 
「少し冷えてきた…。家に入ろう…」
 
 軽く乱れた呼吸のままで、タケルがロゼの耳元でささやく。
 薄暮を過ぎ、今や夜の闇に包まれた庭は、確かに肌寒くなりつつあった。
 そしてそれに反して二人は、体の中に宿る熱が高まっているのを感じていた。
 
「ええ…」
 
 ロゼは、恥じ入るようにやや目を細めて肯いた。
 タケルの腕が華奢な肩を抱き、優美な曲線を描くアプローチへと彼女を導く。
 ロゼは軽く首をひねって、美しい庭をもう一度振り返った。
 
「!?」
 
 瞬時、息を呑み、体を硬くするロゼに、タケルは問いかけた。
 
「どうした?」
 
 ロゼが見やっていた、この庭で一番の大樹のあたりを凝視してみるが、何もない。
 彼女も同じように目を凝らして、しばし見つめていたが、ふっと肩の力を抜いた。
 
「…気のせいだわ。誰かいたみたいに思えた。葉っぱが風に揺れていたんだわ、きっと」
 
 タケルは穏やかに微笑み返した。
 
「ああ。だれかいたら困るよ。これから二人っきりを楽しむんだから…」
 
 夜目にもロゼが白磁の頬を染めているのが分かる。
 
 恋人と呼べる間柄になって一年あまり。
 変わらず初々しく、しかし際だって美しくなったロゼが、たまらなく愛おしい。
 
 立ち止まり、力強く彼女のからだを両腕に抱き上げる。
 
 このまま攫ってしまおう。
 全て、彼女の全てを自分のものにするために。
 二人だけの世界に…。

 

 

 

 

 日付が変わるまでには、まだ少しだけ時間が残されていた。
 
 激務の疲れと、そして、心ゆくまで愛し合った心地よいけだるさが、抱き合ったままの二人を、うとうとと眠らせていた。
 
 吹きつける風が窓を叩く音に、ロゼは目を覚ました。
 雨でも降り出したのだろうか。
 窓辺に近づき、真っ暗な庭を眺める。
 雨は降ってはいない。
 だが、庭の一角がかすかに白く浮かび上がっている。
 
「…!!」
 
 やはり錯覚ではなかった。
 タケルの安らかな寝息を確かめると、ロゼは素早く服を纏い、部屋を出た。

 

 

 

 

「なにをしているの?」
 
 ロゼはやさしく声をかけた。
 
 大樹の前に、少年がたたずんでいた。
 
 太い木の幹を見上げていた少年が、ゆっくりと振り向く。
 5,6歳といったところだろうか。
 ロゼの胸元のあたりまでの身長をしている。
 
 淡く彼を包む光が、柔らかそうな緑色の髪に透けていた。
 瑠璃色の瞳…。
 
 まだあどけない、しかしどこか深い悲しみと、あきらめにも似た大人びた感情をたたえる瞳。
 
(マーグ!!)
 
 ロゼは心の中でその名を叫んでいた。

 見間違うはずがない。
 
 愛しさと、懐かしさと、悔恨と、疑問と…。
 だが彼女は、心に渦巻く様々な激しい感情を押し殺して、どうにか穏やかな声を造り出した。
 
「どうしてこんなところにいるの?」
 
 美しく光る瞳が、すべてを見通し、慈悲深く包み込む、深い海の色の瞳が、彼女をまっすぐに見据えている。
 
「さがしているの」
 
 ようやく少年から発せられた澄んだ高い声は、やはり彼女のよく知る人の声を、どこか思わせた。
 
「何を?」
 
 目線を合わせるためにロゼは軽くしゃがんだ。
 
「クマさんのぬいぐるみ」
「ぬいぐるみ?」
 
 少年はこっくりと大きくうなずいた。
 
「お母様がマーズに作ったんだ」
「マーズに!?」
「うん。おそろいの。僕のは憲兵のやつらにめちゃくちゃにされちゃったから、マーズのは壊されないように木の穴に隠したんだけど…」
 
 可愛らしく整った顔をうつむけて、下唇をかんでいるようだ。
 
「見つからないのね?」
 
 黙って首を縦に振る。

「マーズはかわいそうなんだ。赤ちゃんの時にさらわれて…。僕にはお母様がいるけど、マーズは、お母様にだっこしてもらうこともできないんだ。だから、お母様がお誕生日にって作ったぬいぐるみ、マーズに渡してあげたいんだ」
「そう…」
 
 このマーグは、そう確かに彼に違いない、幼いマーグは、知らないのだ。
 彼の弟マーズは、送り込まれた地球で、愛情深い夫婦に慈しんで育てられたことを。  そればかりか、彼自身が辿る運命も、未来も…。
 
 こぼれ落ちそうになる涙をこらえ、ロゼは立ち上がった。
 頭上を覆う枝々を見上げたまま、少年に語りかける。
 
「まって。探してみるわ…」
 
 透視能力を使ってスキャンする。
 類い希なる超能力をもっていたマーグだが、この年齢ではまだその能力は発揮されていなかったのだろう。
 太い幹の下の方から、ゆっくりと探す。
 
 それは想像より遙かに上方、二階の窓よりも高いほどの位置にあった。
 
 十数年かかって伸びた木は、この少年の宝物を人目の届かぬ場所へと押し上げていたのだ。
 
「あったわ、あそこよ」
 
 ロゼが指さした先を、少年は目を輝かせて見ている。
 
「よかった!!ちゃんとあるんだね!ずっと探していたんだ。でもどうしてあんな高いところにいっちゃったんだろう?」
 
 いたいけな少年に答えるための言葉は意外に簡単に彼女の口をついた。
 
「そうね、怖い人たちに見つからないように、神様が隠してくださったんだわ。
 あなたがマーズを思う気持ちがちゃんと神様に伝わったのね」
 
 緑の髪の少年は、にっこりと微笑んだ。
 何の翳りもなく、心から嬉しそうに微笑む少年の顔容は、あたかも天使のように清らかで、美しかった。
 ロゼは切なく軋む胸の痛みを堪えながら、問いかけた。
 
「とってあげましょうか?」
 
 木登りするには高いところにあるが、念動力を使えばなんとかなる。
 ただ、頑健な木に守られていたとはいえ、長い年月を経たそのぬいぐるみが、この少年の思うままの姿なのかどうか、気にはなったが…。
 
 少年は青い瞳をくるりと小さく回して、しばし利発そうな思案顔をして考え込んだ。
 
「やっぱり、いいよ。そのままにしておいて」
 
 きっぱりと答え、そして続ける。
 
「そこだと、誰にも見つからないもの。マーズが帰ってきたときに、僕が登って取ってあげるんだ。お母様は危ないから木に登っちゃいけないっていうんだけど」
 
「そう。それがいいわね。マーズはきっと喜ぶわ」
 
 少年に悟られないように、歯を食いしばって涙を堪える。
 声がうわずってしまわないように、体に力をこめる。
 その努力は報われたのだろう。
 
 屈託のない笑顔をうかべて、少年はロゼを見上げている。
 
「僕、もういかなきゃ」
「そうなの?」
「また、会えるかな?」
「ええ、ええ…。きっとまた会えるわ。マーズにも…必ず…」
 
 こらえきれなかった涙が一筋、ロゼの頬を伝ったそのとき、少年の姿は眩い光に包まれていった。
 
 大きく肯いた笑顔が、光の中に消え、そして、庭は闇に閉ざされた。
 
 新緑の薫りだけが、むせかえるように辺りに漂っている。

 

 

 

 

 何か小さな物音で、タケルは目を覚ました。
 すぐ横にいるはずの恋人の姿はない。
 慌てて音のした方向に目をやると、ドアの前に、彼女が立っていた。
 
 タケルが声をかけようとしたとき、聞えてきたのは彼女の押し殺した嗚咽だった。
 
「どうした!?ロゼ!!」
 
 がばっと寝台の上に身を起こしたタケルの元に、数瞬の後、ロゼが飛び込んできた。
 
「ロゼ?」
 
 彼女の涙が、胸に伝う。
 もはやロゼはこらえきれずに、声をあげて泣き出していた。
 
「あっ…ああ…」
「ロゼ、ロゼ!?」
 
 泣きやむ気配も、理由を説明することもないまま、彼の胸に顔を埋めて泣き続ける。
 
 その様子に狼狽しながらも、タケルは彼女をなだめようと、つややかな髪を優しく梳き続けた。

 

 

 

 

 美しい朝だった。
 若葉は朝露をためて輝き、まだ白くかすむ水色の空さえ、晴天の蒼穹へと変わる気配をみせている。
 
 二人は大樹の前にいた。
 
「よ、っと」
 
 タケルはその木に登りはじめた。
 
 念動力は使わなかった。
 まだ幼い少年なら、咎められたかもしれない高い木への木登りを、鍛えられたしなやかな体が、易々とこなしていく。
 手が木のうろにかかった。
 小さな穴の奥に掌をすぼめていれると、それに触れた。
 注意深く取り出す。
 
 クマのぬいぐるみ…。
 
 薄汚れた小さなそれは、母の古着を使って作った物だろうか?
 それとも、タケルが着ていた産着を使ったのかも知れない。
 ぬいぐるみというものの為の素材ではなく、何度も荒いざらした感じのする、木綿のような布で作られていた。
 
 タケルはじっとそれを胸元に抱くと、ゆっくりと木を降りた。
 涙ぐんで待っていたロゼに、それを見せる。
 彼女はおずおずと細い指をぬいぐるみの頭にのばして撫でた後、両手で顔を覆い隠した。
 
 その肩をしっかりと抱き、タケルは青々と葉を茂らせる大樹を見上げて言った。
 
「ありがとう…」
 
 それは愛しい兄マーグと、そして、彼の想いを守り続けた、大いなる樹に向けられた、感謝の言葉だった。
 
 時空を超え、届いた愛がここにある。
 兄の愛。母の愛。
 
 そして、未来へ向けて、愛をはぐくむ。
 二人で…。

 

 

          Happy Birthday...Marg&Mars

 

 

 

2003.6

画像提供 A PIECEさま

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