kissing
        ゆみ58さま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長く甘い口づけは、もうほとんど、引き返せないところにまで来ていた。
 頭の芯が熱くのぼせ、自分のものではないかのようにひとりでに唇が、彼女の唇を求める。
 くびれた細い腰を、捕らえる腕に力が入る。
 どこにも逃がしたくない、もう一瞬たりとも離したくない。
 
 幾多の困難を超えて、確かめ合った二人の心。
 愛の言葉、そして熱い口づけで──吐息が大気に逃げることさえ許さぬほどに。
 
 上昇する体温を感じながら、その存在を抱きしめる。
 一ミリでも近く、もっと自分に近く。
 この邪魔な衣服を、剥いでしまいたい・・・!!
 魂を吸い尽くすような口づけを交わしながら、白い襟元に節高い指を、忍ばせる。
 
「・・・!!」
 
 甘くとろけかけていた、柔らかな唇が、はじかれるように離れる。
 彼の胸にもたれていた、しなやかな身体が、にわかに硬直し、離れる。
 
「・・・ロゼ?」
 
 戸惑うタケルの視線を避けるように、深青色の瞳が彷徨い、うつむいた。
 
「ごめん・・・なさい、マーズ」
 
 足早に去っていく彼女の後を、タケルは追うことができなかった。
 情欲に流された自分を嫌悪して──。
 愛し合う男女の成り行きを、拒まれる理由を憂慮して──。
 
 一人残された夜の海岸に、波の音だけが、絶え間なく響く。

 

 

 

   

 

「おう! どうした、タケル? やけに暗くなりやがって!!」
 
 背中をバシッと叩かれる。
 かなりきつい痛みと衝撃は、瞬時タケルをむせかえらせた。
 それはかえって、親友であるナオトの優しさと、相談相手としての信頼と懐の深さを感じさせる。
 すでに深夜を過ぎた、ひとけのない長い廊下をもう一度見渡して、タケルは口を開いた。
 
「俺、さ」
「なんだってんだ、タケル?こっちはまだ報告書残ってんだから、早く言え!」
 
 ナオトは横目でチラリと、タケルのおどおどとした姿をとらえ、さらに力強くバシバシと背を叩いた。
 言い出しにくい話なのだと察して、わざと粗雑に振る舞ってくれる。
 他人に気づかれにくい細やかな一面を、タケルはありがたく思った。

 
「俺、ロゼに避けられてる」
「・・・何で、そう思う?」
「・・・」
「俺は忙しいんだ、とっとと言っちまえ!」
「・・・先に・・・進ませてくれない」
 
 ナオトはとたんに、大げさにため息をついた。
 それでもタケルは、抽象的な一言をナオトが的確に把握してくれているらしいことに、安堵する。
 
「お前な、ロゼをほんとにわかってるんだろうな? 彼女が男のそーいう誘いにホイホイと軽くノってくる女だと思うか?」
「・・・思わない」
「だったら、そーいうことだ」
「でも!」
「デモもストもないの。俺らは特殊な公務員だぜ?」
「・・・」
 
 黙り込むタケルの様子に苛ついたように、ナオトは語気を少し荒げた。
 
「お前らのノロケをこれ以上聞く気はないからな! お互い好きだってんだから、あとは、押しの一手。女はそれを待ってんの!」
「そう、かな」
「そう、だよ。お前は、いや、お前らは、いろいろ考えすぎなんだ。好きなんだろ、離したくないんだろ?だったら、もう、やるっきゃないじゃねえかよ!ふん?」
「そう・・・だよ・・・」
「ああ、ま、カウンセリング料は成功報酬ってことにしといてやるよ、じゃあ、な。色男」
 
 ナオトは、顎をしゃくり軽く手を振って、タケルを追い払う仕草をした。
 
「お、おう」
 
 微苦笑を浮かべ、タケルは自室へ向かって歩きだした。

 

「考えすぎなんだ、ほんとにあいつらは・・・。いつまでもそんなんじゃ、死んだやつも浮かばれねえ」

 

 

 

 

 

 

 

 何も考えたくなかった。
 熱いシャワーを浴びて、まだ少し早い時間からベッドに潜り込む。
 眠れないだろうと思っていた。
 
 また彼を傷つけた。
 彼に応えられなかった。
 後悔と、とまどいと、愛しさと。
 激しい気持ちが渦を巻き、胸を灼く。
 シナプスをかけめぐる電流が、脳をチクチクと刺すようだ。
 
 それなのに、どうしたことか。
 不意に、現実の世界からさらわれるように、抗いがたい眠気が襲う。
 急速に落ちていく意識のなかで、彼女は予感した。
 
 またあのひとの夢をみるのだ、と──。

 

 

 あのひとは、美しかった。
 甘く優しい声が彼女を呼ぶ。
 
「ロゼ・・・ロゼ」
「マーグ!!」
 
 駆け寄って飛び込む彼の胸は、いつも温かい。
 神秘そのものと言える程に整った容貌も、心の奥深くに染みいるような清らかな微笑みも、すべて生前の彼そのままであった。
 
 
 彼はもうどこにも生きてはいないのに、私が──してしまったのに!
 辛すぎる過去が、ひとつの単語を奪う。
 
 
「ロゼ・・・泣かないで」 
 
 濡れた頬に、細く長い指がそっと伸ばされて、またひとつ新たに伝う雫を優しくすくう。
 
「君は、俺と会うとき、泣いてばかりだよ」
 
 マーグの両手がロゼの頬を包み、そっと上向かせた。
 
「マーグ、マーグ・・・」
 
 涙声が何度も彼の名を繰り返す。
 深く静かな海の色──青い瞳が全てを見透かすようにまっすぐにロゼの瞳を見つめていた。
 決して詮索ではなく、ましてや断罪のためなどではなく。
 心の澱を溶かし、その深淵を慈悲深く見つめる、温かいまなざし。
 
「ロゼ。どうしてマーズと愛し合わないの?」
「・・・!」
「君とマーズは互いの心を確かめ合ったのに、どうして?」
「・・・」
 
 無言のままのロゼに応えを促すこともなく、彼女をそっと抱きしめなおした。
 何も言わなくていいのだと、優しく髪を撫でる。
 
「ロゼ、幸せになるんだ、いいね。泣いてちゃいけない。いつまでも過去にとらわれて、未来を失ってはいけないんだ。わかるね?」
「でも・・・っ! 私には、あなたのことを忘れるなんて、ほんの一瞬だってできない。あなたをおいて、私だけが幸せになることなんて、できっこないのよ!」
 
 とたんに激高し、叫び出すロゼを、マーグはそれでも穏やかに見つめていた。
 
「・・・マーズ──俺の大切な弟には、君が必要なんだ、彼の傷ついた孤独な魂を救えるのは、ロゼ、君しかいない・・・」
 
 神々しいまでの清らかな微笑みをマーグは浮かべていた。
 
「俺とマーズは一つの生命を分け合って生まれてきた。・・・だから、俺には分かる、いや、君にももう、分かっているはずだ、ロゼ。そう。もう一人の、生きている俺を、幸せにしてやってほしい。俺はここからずっと二
人を見守っているから。君が想えば、いつでもここで会えるから。だから、何も怖がらなくていい。俺を信じて。マーズの、君への愛を信じて・・・」
 
 
 瑠璃色の瞳が見つめている。深い深い海の青。
 穏やかに、どこまでも澄んでいる。
 
 
 天から優しく降るように、美しいひとの声が告げる。
 
「ロゼ・・・、君の強さを、誇り高さを忘れないで。いつも前を向いて、光の中にいて・・・。」
 
 
 ロゼはゆっくりと瞳をとじた。
 柔らかな唇がそっと重なる。
 
 祝福を与えるための、それは聖なる口づけ──。

 
 
 世界の全ては、純白に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロゼが目を覚ましたとき、部屋は青い月明かりに満たされていた。
 断崖に建つこのビルのすぐ真下まで打ち寄せる潮が、瀟々と明るい月光を反射して、無機的な天井に光の波が揺れる。
 
 夢。
 
 涙がまた零れる。
 一粒、二粒・・・。
 泣かないでと、あのひとは言ったけれど。
 
 でも、いま、熱くはっきりと湧き上がる、この想い。
 
 私は、幾千の試練にも耐えていける
 私は、あの美しいひとを知っているのだから。
 果てしなく優しく強い、あのひとを。
 眩いばかりに輝いて、そして儚くいってしまったあの清らかな魂を。
 彼はきっと、星辰の彼方で未来を見つめている。
 あの誇り高い魂は、数奇な運命にくじけることなく、前だけを見つめて限られた生を生き抜いたのだから。

 

 

 バルコニーには少し肌寒い夜風が吹いていた。
 夜空を見上げる。
 満天の星空。
 まばたきするたびに、小さな星がどんどん見えるようになってくる。
 無数の星々。
 どの星にも、もはやあの美しいひとはいない。
 けれど星々の彼方に、生ある者がやがて還る世界から、あのひとは、いつも私を、私たちを、見つめている。
 
 ロゼは無数の小さな光を瞼にとどめるようにゆっくりと、瞳を閉じた。
 そして、テレパシーを放つ。
 この青く豊かな地球に生きる、あのひとの半身を呼ぶ。
 
 私の愛を伝えるために。
 夢のなかで確かに受けた祝福を、彼の唇にさずけるために──
 永遠に続く未来を、この星降る夜から、彼と共に二人で歩むために──

 

 

 

 

 

 end

 

 

 

 

素材提供 La Moonさま

  

 

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