檸檬3

   ヴァイオリン様

 

10

 

治療室では、タケルが目を閉じて満天の星空へと想いを巡らせていた。
 

(マーグ。教えてくれ。…君にも、こんな気持ちはあったのだろうか?)
 

タケルは今、強く恋愛を体感していた。
どこか甘酸っぱい刹那さが、異様な程に心地良いのだった。
相手に確かめていない以上、片思いの状態でありながら、
まるで双つの大きな翼を広げた大鷲のごとく、力がみなぎるのを感じるのである。

生き急いだ兄にも、この不思議な力みなぎる体験があったか。
この幸福感に似た刹那さを、知らずに逝ったと思いたくなかった。
兄のぶんも生きると決めたタケルであったが、
生前の兄が一瞬でも長く、多く、幸福を知っていたと思いたかった。
 

(相手は誰でも良い。…俺以外で、誰か愛していたか?)
 

無言の宇宙に、限りなく(YES)に近いなにかを感じると、タケルは深く息を吸い、頷いた。

目を開け、暗い室内を見渡す。
 

(ロゼは俺のことが、すきなんだろうか)
 

寝返りを打つ。
 

(なにか、わけがあって、言い出せないんだろうか)
 

タケルは、先刻別れ際に見せた、ロゼの自責の表情を見逃していなかった。
 

(やはりマーグの死のことだろうか…。
 俺は似ているから…。いつ、思い出させても不思議はない)

もう一度寝返りを打つ。
 

(だが、もし、そういうことなら…。言わせてやりたい)
 

熱い想いをたしかめるように、胸元に毛布を抱き寄せる。
 

(ロゼの心の鎖を解き放つ。なにもかも自由に、言えるようにしてやりたい)
 

「愛してる」
 

(って、言ってくれたら、俺はどんなに嬉しいだろう…!!)
 

恋する青年らしい時めきで、タケルは体内に期待というエネルギーが充満してゆくのを実感し、そんな急速な気分の回復を我ながら頼もしく感じていた。
 

(そうしたらもう、誰か他人を、羨ましいなんて思わないだろう、絶対…!)
 

タケルは刹那さの中にも、妄想による喜びを感じずにはいられないなかった。
それは本来、どこにでもいるはずの希望に溢れた青年の顔であった。

 

(だが、もし、ズールに俺が負けるようなことがあったら。
 いや、今夜は、その考えはよそう。
 折角、俺の中の愛情で頭がいっぱいになっているのだから…!)
 

今まで、無意識にも意識せざるを得なかったズールとデビルリングの恐怖が、今夜は忘れられそうな程の小ささに、捕らえられる。

 

(生きていたい)
 

タケルは心の中で呟いた。

美しい程にシンプルな願いであった。
逃げ惑う、否定的な思いではなかった。
むしろ体力を取り戻し、ズールを倒し、デビルリングから解放されたのちのことをイメージした、強い希望だった。

タケルは先刻触れたロゼの頬の感触を思い出していた。
心の中で、静かに呟く。
 

(生きていたい。そして彼女と、輝く未来を俺は築こう)

 

デビルリングの重圧を認めたくなくて、誰にも話せなかった自分がいた。
日に日に蝕まれてゆく己が体に恐怖と、何も知らずに自由に暮らす普通の人々の姿に、己が運命の不条理感をぬぐい切れない午後があった。
明日のことさえ考えるのが怖くて、眠りにつけない夜もあった。
マーグの処にゆけるのならと、もう何もかも捨てて死を選びたいような瞬間もあった。

それはすなわち、ロゼの優しさを撥ね付けたい、何をも考えたくない日々なのであった。
 

(それでも彼女は来てくれた)
 
華奢な体をしゃんと立たせる悲壮なまでの勇気を想った。
 

(ごめん。気づいてやれなくて)
 
揺れる瑠璃色の瞳に宿る、深い哀しみを想った。
 

(ロゼには自由に愛してほしい。どうか苦しまずに…。
 ひとりで背負いきれない過去ならば…
 俺はいつだって、それを笑顔で受け止める…!)
 

1日も早くズールを倒し、この腕で幸福を抱きしめよう。
俺はひとりではない。そう、今なら、なんだって叶うような気持ちがする…!

 

タケルは知った。

体が蝕まれても、精神が豊かに、力みなぎる時があるということを。
愛することこそが自らを強く輝かせる光の源となることを。
 

(灼熱の炎が空を焦がす星へ行く)
 
静かな決意だった。
 

(マーグら、俺を守ってくれた死者達を解放する)

(ロゼ、それまで待っていてくれ。
 必ず帰ってくるから…!)

一瞬、戦いの厳しさに返り、眉間に縦皺を寄せ、タケルは寝返りを打った。

両手を持ち上げ、手のひらにくちづけ、眠りに落ちる。明日の体力の回復を念じて…。

幾時間も立たずに、運命の太陽が、昇り始めていた。

 

 

end

  

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも自分を責め、他人の迷惑ばかり考えて、
自分を出せない、出そうとも思っていない、
そんなロゼが、もし最初に「崩れる」としたら、

もしかしたら、それは、
タケルからと静子さんからの愛の2段攻撃?かなあと、
ふと思いついて、情熱のままに筆を進めたらこうなりました…。

「ごめんなさい」さえ、
声に出して誰かに聞いて貰ってはいなかったのではないかと…。

今回、初めての投稿とあって、右も左もわからない中、
管理人様の懐の深さにただただ感謝するばかりです。
読む方のひとりでもお気に召して頂けたら幸いです。

ヴァイオリン

2006.7.7
 

 

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