amazing grace 1

ゆみ58さま




 

 

「じゃあ、お先に失礼するわ。」
 
 ロゼは書類ファイルを机の上で軽くそろえると小脇に抱え、颯爽とした歩調でドアに向かった。
 
「ああ。気をつけて。」
 
 タケルは微笑みながら軽く片手をあげる。
 初夏の日は長く、この時間でもまだ窓の外は昼と変わらず明るい。
   
 
 
 タケルが親善使節としてギシン星に赴任して約一年。
 彼は今、復旧されたイデア邸つまり彼の生家に一人で住んでいた。
 今日は仕事が早く終わりそうなので、ロゼが手料理を作りに来てくれるという。
 このところは会議で忙しく、この新政府ビル内で夕食をすませることが多かった。
 しかも二人そろって食事ということ自体、ここ数日なかったなと、タケルは記憶をめぐらせた。
 
 
 
 ロゼはビルを出た後、手早く食材を買い込み、エアカーでタケルの家に向かっていた。
 ハンドルを握りながら、ふと今朝の妹との会話を思い出した。
 
 
 
「いっしょに住めばいいじゃない。」
 
 ルイはこのところ口癖のようにロゼにそう勧める。
 
「いいのよ。私の官舎はちゃんとここにあるんだし。」
「そういう問題じゃないでしょ、姉さん。言わせてもらうけどね、真夜中にこそこそ出かけたり、ものすごーく朝早くに帰ってきたりしてるじゃない? 体に悪いわよ。睡眠不足は万病のもと、お肌のテキ。向こうで住めばいいじゃない。それとも、なにかしら?マーズが寝させてくれない?」
 
 ロゼは、いたずらっぽく首をかしげる妹の顔を、まともに見ることができなかった。
 自分の頬が紅潮しているのが分かる。
 
「そ、そんなのじゃ・・・ない・・・けど。」
「はあー。まあ、そういうのも、いつまでも新鮮でいいかもしれないけどね。」
  
 
 
 あきれて両手を広げるルイの姿を思い出したとき、ロゼは忘れ物に気がついた。
 ルイがいつも作り置きしておいてくれる自家製ハーブオイル。
 妹ほどには料理の腕に自信のないロゼは、早速それを取りに帰ることにした。
  
 
 
 官舎の前に車を止め、門の電子ロックを解除しようとした、その瞬間。
 
「!?」
 
 ロゼは、引き締まった肢体を素早く翻して身構えた。
 ほとばしる殺気の存在が一瞬にして彼女を戦闘員として蘇らせた。
 
「父さんと母さんのかたき!」
 やせこけた少女の顔に瞳だけがギラギラと光っている。
 
 
 
 よけられないはずはなかった。
  
  
  
 少女の身のこなしは武道の訓練ひとつしたことのない者のそれだった。
 あたかも子ども同士の戯れのように・・・。
 しかし小さな手に握られたナイフは深々とロゼの左胸に突き刺ささった。
 
 
 
(マーズ・・・!)
 
 ロゼがテレパシーで愛する人の名を呼んだ。
 しかし助けを求めたのではなかった。
 
「ごめんなさい、マーズ。」
 
 美しい唇は微かに動いたが、急速に遠のく意識と弱まるテレパシーがどこまでそれを彼に伝えたのかは彼女にも分からなかった。

 

 

  

 早く帰ろうと思った日に限って面倒な電話が入る。
 地球政府のお偉方からの星間電話は単に「ギシン星親善大使と電話を交わす」ための社交辞令が詰め込まれただけのものであった。
 タケルは少し苛つきながら受話器を置き、席を立つ。
 今度こそ何にも捕まらないうちにこの部屋をでなくては・・・ロゼが待っているのだから。
 せっかくの手料理が冷めてしまっては申し訳ないし、なにより今日は久しぶりに彼女とゆっくり過ごしたい。
 
 
 
 このところ輝くように美しさを増した恋人の姿を思い描いたその刹那、タケルの脳裏にとびこんできたのは他ならぬ彼女の声であった。
 
(マーズ・・・!)
 
 叫びともいうべき強いテレパシーが急速に弱まる。
 それでも彼女に何が起こったか、彼に分からないはずがなかった。
 
「ロゼ!」
 
 彼は全速力で部屋を駆けだし、地下駐車場のエアカーに飛び乗った。
 
 
 
 タケルには彼女のテレパシーが発せられた場所は分かっていた。
 彼女が生命の危機に瀕していることも・・・。
 いくら彼女にテレパシーで呼びかけても、答えもかすかな反応も返ってこない。  
 
「ロゼ!ロゼー!!」
 
 エアカーを飛ばしながら、彼は時には声にも出しながら、何度も何度もテレパシーで彼女の名を呼んだ。
 
 
 
 官舎前の道路にはすでに人だかりが出来ていた。
 まだ救急車などは到着していないようだ。
 タケルはエアカーを無造作に止めると人垣をかきわけていった。
 人の輪の中心にできた空間にロゼはいた。
 そばでルイが泣き叫ぶように姉の名を呼んでいる。
 あざやかな深紅色が姉妹を包みこむように広がっている。
 駆け寄るタケルの靴底にもその色の液体が粘りつく。
 
 
 
「ロゼ!しっかりするんだ、ロゼ、ロゼ!」
 
 タケルはロゼのごく微かな呼吸を確認しつつ、ルイからそっと彼女を抱き取る。
 
「ロゼ、ロゼ!!」
 
(兄さん、マーグ!ロゼを助けてくれ、連れて行かないでくれ!俺を一人にしないでくれ!)
 
 タケルは愛しい女性の名を叫びながら、遠い世界に住まう己の半身にむかって懇願していた。
 救急車のけたたましいサイレンが辺りを包んでいることにも彼は気づかなかった。

  

 

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