FLOWRE 1
ゆみ58さま1
突然やってくるもの。凶事、邂逅、そして・・・。
ただ一機の小型宇宙艇が、無数の戦闘機からの追撃を受けて宇宙空間を逃げまどっていた。
それを助けたのは、宇宙の平和に尽力するものとして当然のことであったと思う。
例え、どこかの星の諍いに干渉してしまったとしても。
自分は、またやっかいごとを地球にもたらしたのかも知れないと憂慮しながら、逃亡者が運び込まれた医務室を訪れたとき、タケルは今まで知ることの無かった心のざわめきを感じた。
やっかいごと。
そうかもしれない。
ベッドに座る美少女の淡いバイオレットの髪が揺れるたびに、とまどいと緊張に潤んだ瞳と視線が合うたびに、心がざわめく。
落ち着かない。
「どこの星からきたんだい?どうして追われていたの?」
違う、聞きたいことは、話したいことはこんなことではない。
何をしゃべればいいというのだろう?
言葉が浮かばない。
そのときだった。
フローレと名乗った彼女は、その清楚で整った顔を突然はげしくゆがめると、突如、絹を裂くような悲鳴を上げた。
「いやー!!出て行ってー!!」
「ど、どうしたんだ、いったい?」
病室の電灯が不規則に点滅する。
(超能力?)
「ああー!来ないでー!来ないでー!!」
錯乱したのかと思うほどの取り乱しように、奥の部屋に控えていたドクターが慌てて飛びだしてくる。
彼女はベッドの上で後ずさりし、なおも壁にはりついてまで明らかにタケルを怖れ、おびえている。
「明神君、とにかく部屋から出てくれ」
ドクターの指示には従うほかなかった。
彼女の不可解な拒絶で突如打ち切られた会見は、タケルの心に衝撃を伴って色濃く焼き付けられた。
何かが始まる予感。
何かが・・・。
2 その夜はなかなか眠ることが出来なかった。
彼女のことばかりが心に浮かぶ。
(なぜ彼女は俺を怖れるのだろう・・・。超能力をもっているようだが? 彼女はなぜ、誰に追われていたんだ?)
当然のそして重大な疑惑について考えようとしていても、彼女の憂いを帯びた繊細な横顔が脳裏に浮かび、その柔らかそうな髪と同じバイオレット色の瞳が、タケルの思考を停止させる。
「フゥ・・・。」
今夜何度目のため息だろう。
フローレとその追撃者との遭遇により、ケレス基地の警戒レベルは重度に引き上げられている。
最低限の休息時間が終われば、パトロールに出なければならない。
厳しいシフトをこなしていく為にも、今は何も考えずに眠るしかない。
頭までシーツを被り、かたく目を閉じる。
軍人としての習性が、やがて彼を眠りに導いたが、その瞬間にタケルは心の中で彼女の名を呟いていた。
異星人との遭遇と保護を地球に報告するために、フローレへの事情聴取は基地の責任者たるケンジによって進められた。
プラスとマイナス、二種類の超能力者が存在する星、マルメロ星。
その圧倒的多数の勢力をもち、政権を掌握するプラス超能力者は、少数で穏健なマイナス超能力者達を迫害し続けているという。
プラスとマイナスはその存在自体が相容れないものなのだと。
彼女を襲った「十七歳のマイナス少女狩り」は、怖れられこそすれ、特に珍しいものでもなかったという。
いままでにも、特にいわれのない理由で多数のマイナスエスパー達が虐殺されてきたからだ。
家族を失い、故郷の星から逐われた超能力者・・・。
クラッシャー隊のミーティングで聞かされた彼女の身の上を、タケルはとても人ごととして聞くことは出来なかった。「かわいそうなんだなあ、彼女。あんなに綺麗なのにさぁ」
「うん。僕たちでなぐさめてあげなきゃ」
「う・・・僕たち、そ、そうだな、ははは」
アキラとナミダの会話を、ナオトは微かに口元を引きつらせて聞いていた。
(おまえらに負けてたまるかよ)
「まあ、そういうことだ。彼女を難民として保護するように地球政府に要請しているが、君たちも力になってやってくれ。以上だ」
ケンジが締めくくり、メンバーは解散した。
(キャップのお墨付きだぜ? ま、この俺様以外に力になれる男なんていないがな。)
密かにほくそ笑むナオトは先手必勝を試みたが、それは達成できなかった。
超強化ガラス張りの展望室にいたフローレの前にはすでにナミダとアキラからのコーヒーカップが二つならんでおり、三つ目と四つ目のコーヒーはナオトが自分で飲まざるを得なかった。
そんな光景を、地球光を受けて茂るプランツの影に隠れてタケルはそっと見ていた。
自分がこうして近くにいるだけで、その気配を察知しているのであろう、フローレは明らかに警戒の波動を漂わせていた。
いかにもにこやかに、ナミダたちの歓待を受けながらも・・・。
はがゆかった。
彼女のそばに行きたいのに。
彼女の話を聞き、励まし、支えてやりたいと思うのに・・・。
やがてフローレは儚げに微笑みながら、少し一人で考えごとをしたいからと、彼らに退出を促した。
名残惜しそうに出て行く彼らを見送って、フローレは小さく呟いた。
「そこに、いるのね」
彼女を怯えさせないようにゆっくりとタケルは歩みを進めた。
「どうして俺を怖れる?」
タケルは、俯いたままの彼女の瞳を、なぜかとても惜しく感じていた。
「・・・」
無言のままで、やっと見上げたその瞳は、タケルの想像以上に美しく、アメジストの輝きをたたえていた。
吸い込まれそうだと思いながら、じっとのぞきこむ。
自分の真意が伝わるように。
彼女を助けたい、守りたいという気持ちをそっとテレパシーにのせていく。
その波動が触れるやいなや、二人の間で静電気のようなものがはじけ、彼女は激しく身を引いた。
「フローレ・・・」
彼女の瞳は、急速に潤み始めていた。
睫毛にたまった涙の粒さえ、その美しい瞳の色に染まりそうだ。
タケルは無意識にフローレの細い手首をつかんでいた。
それを振りほどき、フローレは展望室から走り去った。
後に一人残ったタケルは、振り払われ空をつかむ己の手をぼうっと見つめていた。
あまりにも華奢な手首の感触が残っている。
強く握ればたやすく折れてしまいそうな・・・。
同じ人間のものとは思えぬほどの・・・。
少女とはもうよべぬ、若い女性の甘い残り香が漂っていた。
ケレス基地と地球防衛軍は、マルメロ星からの攻撃を受け続けた。
そして謎の海賊船の襲来・・・。
フローレの身柄の引き渡しを要求するマルメロ星に対して、地球政府の見解は、それに従う方に大きく傾いていた。
あれから、フローレは露骨とさえ言えるほどにタケルを避けるようになった。
だが、それはかえってタケルの気持ちを高めるばかりであった。
(会って話がしたい。海賊船の出没と、彼女のテレパシーの関係を問いたださねば)
それは建前だと、どこかで自分が言っている。
(フローレの引き渡しには応じるべきではない。)
彼女を離したくないのは、ただの俺のエゴではないのか?
彼女のことを思うたびに、胸が熱くなる。
バイオレットの瞳が見たい。
大人びた、耳ざわりのよい声が聴きたい。
柔らかそうに揺れる髪に・・・。
加速しそうになる思考回路を無理矢理に停止させる。
4
連日に及ぶ緊急発進、六神ロボでの戦い。
さらには、フローレ放逐を唱える地球政府の命令に、背いてしまったタケルには厳しい軍法会議が待っていた。
疲れ果て、綿のようになって眠り込むタケルのベッドに、気配を殺して近づく影がひとつ・・・。
潜入訓練用の黒色のウエアを身に纏い、そのマスクで顔面までも隠している。
影はゆっくりと体の前で腕をクロスさせた。
迸る青白い光線が、タケルの心臓を直撃するその瞬間、彼は間一髪、ベッドの反対側に転がり込んだ。
「誰だ!」
放たれた第二射に、タケルも衝撃波で迎え撃つ。
二人の間で、その二つの電光は激しく反応しあい、昇華していった。
だが、タケルのパワーが明らかに優勢で、みるみるうちに、侵入者のほうへと圧していく。
それを見切るや、影はすばやく身を翻した。
「待てっ!」
飛びかかってつかんだ胸ぐらの、豊かで柔らかな感触は、タケルを大いに怯ませた。
その隙をみて放たれた衝撃波は、タケルの逞しい肩の皮膚を鋭くえぐり取ったが、流れる血を気にも留めず彼は叫んだ。
「やめるんだ、フローレ!!」
組み敷かれた侵入者はもはや動こうとしなかった。
タケルがはいだマスクから、夜目にも美しい薄紫の髪がさらさらと流れだし、そしてどこか高貴な美貌が現われた。
「・・・」
「どうしてなんだ、フローレ?」
「・・・私があなたを殺さなければ、私はあなたに殺される」
「なぜそんなこと!?」
「あなたが、プラスエスパーで、私がマイナスだからよ!」
「俺にはそんなこと関係ない!」
真下から彼を見上げる瞳には、もはや涙もなく、怯えてさえいない。
ただ、悲しく儚く、あきらめを漂わせて、けぶっていた。
「俺は、君を守る」
「嘘よ」
「嘘じゃない」
「プラスとマイナスが分かり合えるなんてこと、ありえないわ!」
タケルは次の瞬間の行動は、自分でもすぐには理解できなかった。
気がつけば、彼女の唇をふさいでいた。
己の唇で・・・。
彼女にそれ以上喋らせたくなかった。
プラスとマイナス、自分達の間にあるという得体の知れぬ障壁を、彼女のその桜色の唇から聞きたくなかった。
気がつけば彼女の髪に指を絡めていた。
避けようともがく柔らかい唇に、唇を強く押しあて、さらに深く体を彼女の上に覆い被せる。
意識は、思考は、完全にどこかへ飛んでしまっていた。
その彼の体から、ゆらりと、蜃気楼のように揺れるものが立ちのぼりはじめていた。
闇よりも暗いその影は、徐々に人の形をとり、タケルとそっくりな容貌を作り上げていく。
ギラギラと光るつり上がった瞳と、妖しくおぞましい笑みを浮かべる口元をもった、魔性のごとき容貌を・・・。
だが、あろうことか、無我夢中でフローレに口づけていたタケル自身の表情が、だんだんと、その不気味な影のそれに近づいていく。
独占欲、征服欲、支配欲。
およそ淡い恋心や、若く健康な情熱とはかけ離れた、圧倒的な欲望が彼を染め上げていく。
くちづけはしだいに、獲物をむさぼる肉食獣の口咬となり、ぎこちなく彼女の髪を梳いていた手は、もはや最後のとどめの時を待ちかまえて、白い首筋にまわりつつある。
異変を察知したフローレの必死でもがく手首を乱暴に床に押しつけたその時・・・。
あまりに華奢な手首の感触が、タケルの記憶の奥底に触れ、彼はにわかに正気を取り戻した。
タケルの形をとった妖しい影は、瞬く間に部屋の片隅の闇へと吸い込まれるように消えていった。
「すまなかった・・・」
タケルは体を起こし、まだぜいぜいと息を弾ませて横たわるフローレの傍らに跪いていた。
「・・・」
彼女は無言で顔を背けた。
何が起こったのか、タケルにもわからない。
しかし・・・。
(俺は彼女を、殺そうとしていた?)
何かに乗っ取られたかのように、体が、心が、自分の意志とは関わりなく動いていた。
それでも、全身にみなぎっていた愉悦感を、はっきりと覚えている。
快感に打ち震えて、高笑いさえしそうだった、あの興奮を覚えている。
(何・・・だったんだ?)
やがてフローレの呼吸は静まり、まだ電灯もつけぬタケルの自室は、しんと静寂を取り戻していた。
「これが、プラスとマイナスのさだめなのよ・・・」
少ししわがれた声で、しぼりだすようにそれだけ言うと、彼女は部屋を走り去っていった。
5
(確かにあれは俺だった。)
俺自身のなかにあった、もう一人の俺?
あれが、プラスエスパーの正体だというのか?
俺は、俺はあんなおぞましいものを己のなかに飼っているというのか?
それともすべてが、俺自身なのか?乱れたベッドに座り、頭を抱え込みながら、タケルは苦悩していた。
自らがとってしまった行動に、自らを支配した悪しき存在に。
そっと指で唇をなぞってみる。
あのキスは、あれは操られてしてしまったわけではない。
あれは、俺が・・・。
はずみのように奪った唇は、彼のなかに芽生えはじめていたその心を、己に確信せしめた。
(彼女を、愛しいと思う)
俺は、フローレに惹かれている。
フローレを、愛している。
木訥で、まっすぐすぎるほどに生真面目なタケルにとって、初めていだいた想いであった。
胸が高鳴り、灼け焦がれ、苦しい。
しかし、その甘い疼きは、その温度のままで激しい後悔にとってかわる。
(なぜ、どうして彼女を殺そうとした!?俺はこの手で!!)
気が狂いそうになる。
歯ぎしりの不愉快な音に、エマージェンシーコールの電子音が重なった。
「クラッシャー隊、スクランブル! 海賊船が当基地の至近空間にワープアウト!!」
タケルが自室を飛び出すや否や、激しい振動がケレスを襲い、彼を廊下の壁に叩きつけた。
(強制着艦!?)
その推測は正確だった。
(フローレ!!)
タケルはフローレの波動を、展望室に察知した。
廊下を全力で疾走し、エレベータを待つことなく、階段を駆け下りる。
やっとたどり着いた展望室のドアを開けたとたん、タケルの目に入ったのは、ガラス越しに見える巨大な海賊船の船底と、すこぶる長身な男の立ち姿だった。
その背後には、超強化ガラスがぱっくりと口を開け、揚陸用のパイプが接合されていた。
くすぶるような金髪の男は、その剣呑たる光を湛えた瞳とは裏腹に、ゆっくりと落ち着き払った口調で問いかけた。
「マーズか?」
厳戒態勢をしいていたケレスにこうも簡単に着艦した技量と、微塵の緊張すら感じていないのではないかと思わせる低い声は、この男がただものでないことを物語っていた。
「誰だ!!なぜ俺の名前を知っている!?」
海賊の整った口元が歪みながらつりあがる。
「おまえは、我らマイナスエスパーの敵。死んでいった同志達の仇」
「なんだと!」
「・・・フローレを連れて行く」
男が向けた視線をたどると、ガラス窓沿いに置かれたソファに、恐怖に震える彼女が目に入った。
「何を言う!フローレは俺が守る!おまえ達になど絶対に渡さない!!」
男はそれに答えず、軽くあしらうように顎を上げた。
「フローレ。マイナスの同志が迎えに来た。来るがいい」
「フローレ!!」
タケルは海賊の男に衝撃波を放ったが、軽々とそれは避けられた。
そしてその反撃は、深々とタケルの太股を貫いた。
「うぉっー!!」
男は、その場に崩れたタケルをさらに束縛する念波を放つと、フローレに向き直った。
「・・・来るんだな?」
フローレはその声に導かれるようにふらりと立ち上がった。
「だめだ、フローレ、行ってはいけない!行くな!」
おびただしい出血と、体を締め付ける念波のために薄れゆく意識を必死でつなぎ止めながら、タケルは叫んだ。
フローレは一歩一歩ゆっくりと歩き出していた。
「行かないでくれ、フローレ、フローレーっ!」
「さようなら、タケル」
儚げに目を伏せ、背を向けた彼女の姿と、海賊の男の物騒な微笑みを網膜に焼き付けて、タケルは意識を失った。
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