檸檬 1

   ヴァイオリンさま

 

  

「ロゼ。…ちゃんと、食べてるか?」

その言葉に驚いて、ロゼはベッドに横たわるタケルに駆け寄った。

バトルキャンプの治療室で、窓の外の木枯らしが最後の一枚を枝からもぎ取るようすをせつなげに見つめていたロゼの背中へと、ふいに目を覚ましたタケルがかけた、最初の言葉だった。
 

「マーズ…!気分は…?」
 

タケルは頷き、体力補強液の点滴を受けながら、息も漏れがちに、しかし、はにかんだように笑いながら、低く囁くのだった。
 

「『薔薇の騎士』、なんて、無茶して、君の体こそ、疲れてるんじゃないのか?」
 

相手を思いやる温かさ。
無邪気な微笑み。
慈しまれ育ったタケル本来の、少年としての顔だった。
タケルがそんなふうに笑うのは、ひさしぶりだ。
ロゼには、彼女が愛を意識してからは、初めてだったに違いない。
 
とまどい、でも、どうしても惹かれ潤む気持ちを、隠し切ることが出来ず、ロゼは、頬を染め、はい、あっ いいえ、と、首を振ることが精一杯だった。
 
ふっと、笑い、タケルが腕を伸ばし、立ち尽くすロゼの指に触れた。
 
鳶色の瞳が、静かにロゼを捕らえ、死闘の疲れを滲ませつつなおも消えぬ息吹を讃えた唇は、タケルの中に芽生えていた熱い想いを吐露するべく、ロゼに語りかけていた。
 

「もう一度、君に遇えてよかった… 薔薇の騎士が、マーグと君だったと、知ることが出来て…。
マーグの墓の前で、君と別れてから、ずっと、、、胸の痞えを感じていたんだ。
もしあのまま、俺か、君の身に、もしものことがあって、再び会うことがかなわなかったら…」

タケルは咳き込み、途切れつつ、続けた。
 

「俺は、俺はね、一生、この気持ちというものを、知らずに、そして、打ち明けることも出来ずに、いた、かも、知れな…」
 

ロゼは、咳き込むタケルの手を握り、摩りつつ、オロオロと、どうしていいかわからないのだった。
 
普段の彼女なら、冷静に相手を制して、ドクターを呼び、
最低限の会話を肺を介せずに成し遂げ、相手を安心と回復へと導くことも出来ただろう。
 
しかし、初めてタケルが見せた、少年の微笑み、それと同時に、愛や生き方を強く自覚した青年としてのタケルの、確かな情熱の表情に、その情熱が他でもない、自分に向けられているのを感じると、ロゼは、どういうわけか会話の内容さえ、上の空となり、ただの少女に戻ってしまうようなのであった。

タケルは息も絶え絶えになりながら、なおも何かを伝えんとするのだった。
 

「…ゼ、ロ、ゼ? …俺はね、…きみが、きみが、」
「マーズ?もう、お話、しないで…?」
「きみが、……だ」
 

声になっていなかった。
だが、タケルは、良い表情をしていた。
自らの死に瀕しながらも、胸のうちに確かに芽生えた、愛というものを、愛しい女性の前で、精一杯、ことばに出すことが出来た、そんな満足感が、タケルを幸せにしていた。

自分の中で、最初の一歩を踏み出せた。
彼女の耳に、聞こえていなかったら、伝わっていなかったら、また、打ち明ければ良い。

死せるマーグと、生せるロゼの優しさを確かに受け止めて、それ以来、タケルには、不思議と、焦りがないのだった。

タケルが再び激しく咳き込んだ。
 

「ドクター、ドクターを呼ばなければ」
 

ロゼがタケルになかば覆いかぶさり、頭上の壁際のコールボタンを押す。

タケルは、慌てる愛しい女性の顔に手を伸ばす。

なにがなにやら解っていない表情のロゼに、タケルは、また、笑った。
両の手で、ロゼの小さな顔を、挟む。
静かに、口を開く。
 

「…ロゼ? ちゃんと聞いてくれ… ロゼ?」
 

見上げる鳶色の瞳が、優しく揺れている。
ロゼの顔にかかった髪が、タケルの手の甲をサラリと滑り落ちる。
戸惑うロゼにも、やがて、熱い感情が流れてきた。
今までに味わったこともないような、自分が自分でなくなるかのような感覚。
 

(すき…このひとがすき…
もう、なにをされても、かまわない。)

 
だが、目の前のタケルの表情の、あまりの優しさに、ロゼは頭でそれを打ち消すのだった。
 

(やはり、こんなふうに見つめてもらうことは許されない…!)

 
そのとき、コールを受けて、医師と看護婦がどやどやと入室して来た。

タケルは惜しむように目を伏せ、その場ですぐ処置を施された。
息が楽に通るようになり、じきに再び眠りに落ちるだろうとのことだった。
 

「貴女も相当に疲れている。自分の部屋に行って休みなさい」
 

医師から退室を促されたロゼに、タケルはもういちど、声をかけた。
 

「ロゼ。 ありがとう。」
 

ロゼは、その瞬間、タケルのまなざしに、ハッと見入るのだった。

死を意識し、何かを超越した、落ち着きのあるまなざし。
激しい闘志を内に秘めつつ、優しさと理知に溢れる、
透明感さえ感じられる凛とした美しさ。

ロゼは、その同じ美しさを持つ人を、知っていた。
その人の名は、マーグ。
 

(なんて、なんて、似ているんだろう…?
どうして、どうして、あの人は、永遠に帰らないのだろう、ああ、それは、わたしが、)
 

「ロゼ? だいじょうぶか?」
 

蒼ざめたロゼを気遣い、タケルがまた声をかける。
 

「しっかり食べるんだぞ。地球の料理が口に合うかどうかは、わからないけどな」
 

(ああ、こんなにも優しく、屈託の無い微笑みで、包んでくれるの…?
この微笑は、このひとらしい、本来のもの…きっと、養父母からの、愛の贈り物…)
 

感動と、たくさんの想いが入り混じり、ロゼは、会釈して、走り去るより仕方なかった。

部屋に帰らず、気づくと、屋上へと出ていた。

冬の澄んだ空気に、満天の星が揺れていた。

ふとロゼは、屋上の一角に人影を感じた。

どこか懐かしいような生活感と、気高いほどの慈愛のオーラを併せ持ち、自然体でありつつも高尚な精神を失わない、そんな温かな人影は、明神静子のそれであった。

静子はひとり言を言い、唄をくちずさんでいた。
 

「ねえ、あなた、タケルの小さい頃も、この唄をよく唄いましたね?」
 

静子は天国の夫、正に呼びかけているのだった。
 

「あなた、タケルのこと、おねがいします。まだ、、、おそばに、連れて行ったり、しませんね?」
 

そうして、まるで正の返事が聞こえたかのように、目を閉じて、静かに微笑むのだった。
星が揺れる寒空の下、祈りを捧げる母の姿がそこにあった。

静子は、ロゼに気づいた。
 

「まあ、どうしました?もう、お体のほうは、だいじょうぶなの?」
 

ロゼは、思わず静子に駆け寄り、手を握り締め、泣き出した。
 

「まあ」
 

驚く静子の手を離す事が出来ず、ロゼは、膝を突き、頭をふり、なにかをつぶやきながら、ただ、泣きじゃくった。

静子は優しく片方の手を解くと、微笑み、ロゼの頭をなで始めた。
ロゼはいっそう激しく泣き、やがてその想いは静子にも伝わり、母の目からも一筋の涙が流れ出た。

 

 

  
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