エピソード1 - 1 生き残り

 ヴァイオリン様

 

 

 

 

――俺と一緒に行こう
 
――わたしは、ここに残るわ

 

 

 

 キラキラした木漏れ日のように、カーテンの布目を通して、朝の光が美しい少女の肩にこぼれていた。
 少女は眩しげに目を細めると、しなやかな肢体をぐんと伸ばし、窓辺の置時計に手をかけた。

「うん。目覚まし時刻の10分前ね。
今朝も自然に目が覚めたから、ベルの音でルイを起こさずにすむわ。
また、マーズの夢を見てたみたい。きっと、マーズがとても元気だという知らせね!」

 少女の名はロゼ。
 光を弾く様な肌はいくぶん上気し、夢の中に現れた青年の名を口にする唇は、朝露に輝く果実のように、甘く潤い、つややかであった。

 少女の部屋のドアがガチャリと開けられ、
 
「おはよう、ロゼ」
 
「ルイ!おはよう!早起きね?」

 ルイと呼ばれた少女が、悪戯っぽい笑みを浮かべ、しゃきしゃきと捲し立てた。

「姉さんの寝言が、となりのわたしの部屋まで聞こえてくるのよ。今朝は、とっても良い夢だったみたいね?さては好きな人でも、出てきたんじゃない?」

 ルイはロゼの妹であったが、その手の会話にはロゼより上手であった。

「も、もう、ルイったら、マーズはそんな、すきとかそういう対象じゃないのよ」
 
「わたしは『マーズ』とは、言っておりませんけど?」

 とたんにロゼは頬を染め、ルイは朗らかに笑った。

「ふふふ。まあ、良いわ。姉さんの夢見が良いなら、それで結構」
 
「もう。でも本当に、そんな対象じゃないのよ」

 言いながらロゼは生真面目に唇を引き締めた。

「マーズはギシン星とその星群の命の恩人、そしてわたしの魂の恩人、感謝し敬うことはあっても、すきになることは許されないわ。考えたこともないのよ」

 現時点のロゼの本音であった。
 すき、などという甘えた感覚には到底身を許す考えは無かった。
 自分とマーズとではとても釣り合わない、というような思いもあったが、かと言って他の男性なら良いのかといえばそれはまったく違っていた。

 ロゼは自分の過去に対する原罪の意識が強く、誰よりも自分を責め続けていた。
 その残りの生涯を贖罪のため生きること、そうでなければ生きられないほどに酷く思いつめていた。
 そんなロゼを今、支えているのは、かつて敵対し、そして和解し手を取り合った妹、ルイの軽快な明るさと、

(一生懸命生きていればいつかマーズに一目会えるかもしれない)

 という、ロゼ自身の一途で控えめな願いなのであった。

 ルイはつとめて明るく流した。

「はいはい。姉さんの律儀はそれで結構。夢見が悪くなければそれで良いのよ…。」

 最後の方は姉には聞こえないように呟いていた。
 きちんとベッドメイクする姉の背中を見つめながら、ルイは眉を寄せて最近の気がかりを想っていた。

(この間、姉さんは、寝言で叫んでた。「なぜ私が生き残ってしまったの」みたいなことを…。本人は覚えてないらしいけど。
それに、うわごとで「ズール」の名を口にした日もあったわ。姉さんにはその事は言えなかった。だって、忘れてくれれば一番良いものね?)

 最近、ロゼは体調を崩すことが増えていた。
 それも、激しい頭痛、嘔吐、耳鳴り、目眩…難聴や、視界の暗さを訴える日もあるのだ。
 医師には原因不明、精神的なものかも知れないと、言い渡されていた。

(それがズールの夢と関係あるとは限らないけど)
 
 とにかく、マーズの夢なら、何も心配はない。
 ルイは強く息を吐くと、「朝食にしましょう!」と元気よく言い放った。
 

 

 

 

「ルイ。今日訪問する、エスパー療棟の場所は解読出来て?」

 ロゼは共に働く妹に、てきぱきと問いかけた。
 ズール皇帝による一連の戦争の惨事から、エスパー達、特に最後まで改心の機会に恵まれずズール皇帝側に就いたまま戦争の終結を迎えたエスパー戦士たちに、戦後の強い心神耗弱が見られ、様々な症状を持つ病んだエスパーたちが、極秘に作られたエスパー寮棟に隔離され、治療を受けていた。

 彼らはその複雑な立場から、多くは誹謗や、時には恨みを含んだ暴力の被害に遭っており、そのため彼らの治療には厳重が敷かれ、一般市民には勿論、作戦スペシャリストとして平和条約締結に従事するロゼとルイの姉妹にさえ、療棟の場所の情報の入手にも2重3重にロックが掛けられているのであった。

「勿論よ。場所のほうは解読済み、すぐに破棄して、頭に入ってます」
 
「OK、直ぐに向かいましょう」

 ロゼら姉妹には、療棟の様子を視察し報告する任務が課せられていたのだった。

「ええ。でも…」

 ルイは口ごもった。

「何?はっきりお言いなさい」

 ロゼは優しく、しかし毅然とした態度でルイを促した。

「病んだエスパーたちを恐れているの?大丈夫よ、なにかあってもわたしが守るから」
 
「違うのよ」
 
 ルイはかぶりを振った。

「姉さんは、行かないほうが良いのじゃないかと思って…。」
 
「わたしが?なぜ?」
 
「姉さんは最近、目や耳がよくないでしょう。それでも前向きに、激務に身を置き続ける姿勢は、すごいと思ってるんだ。
でも、なにか、精神的なものに原因があるのじゃないかと思うの。
実際に病を発症しているエスパーたちに会ったら、姉さんもダメージを受けるのではないかしら」

 ロゼは、ルイの肩を軽くたたき、真剣な目をして答えた。

「もしそれが本当だとしたら、わたしは、ますます、行かなければならないわ」

「なぜ?」

「それがわたしたちの仕事だから。それに、彼らとわたしの症状の原因に共通点があるのだとしたら、彼らを理解することで、わたしは自分が発症するのを抑えられるかも知れない。なにごとも調査あるのみよ」

「でも…」
 
 心配する妹に、ロゼは冗談を言って気を紛らせた。

「だいじょうぶよ。わたしがもし目が見えなくなったら、とっとと寝ますから、帰りの運転は、ルイ、よろしくね?」
 
「えーっ、そんなあ。帰りは深夜なのよ、闇で見えない所は、姉さんの超能力でパパッと照らしてくれないと。」

 姉妹は微笑みあって、重い任務を遂行すべく、励ましあうほか術がなかった。
 2人を乗せた小型車が、木立の中、新緑の色に吸い込まれて行った。
 

 

 

 

 夕焼けの空が橙色から紫へ、灰色へと変化してゆくのを、自宅のベランダから、ルイは心配そうに見つめていた。

 エスパー療棟の視察は、終わった。

 戻ってからのロゼは、エスパー寮棟、いや、エスパー治療の広範囲に渡る改善案の作成に熱心に取り組み、夜を徹して働くことも増えていた。
 ルイがどんなに休息を勧めても、ロゼがそれをのむことは無かった。
 ロゼはただ、美しく微笑み、ルイに先に寝るように指示すると、何かに取り憑かれたかのようにまた仕事に集中するのであった。 

 改善案は幾度か修正を余儀なくされ、そのたびにロゼは徹夜で仕上げては幹部に提出を繰り返していた。今日もロゼは改善案を持って出かけた。これで何度目だろう。

(体力的に大丈夫かしら、それに…)

 そのとき、
 
(もうすぐ帰るわ)
 
 ふいに、ロゼからのテレパシーが届いた。

「姉さん?」

(ルイ、今度こそ、案が通ったのよ。今夜はぐっすり眠れるわ)

「ほんと!…よかった。それじゃ夕飯は姉さんの好きなものをそろえてあげるわね」

(ありがとう。でも、悪いけど食欲が落ちているから、今日は遠慮しておくわ。とにかく帰って休もうと思うの。いつも心配かけてごめんね、ルイ)

「良いってこと!」

 ルイの頬に安堵の笑みが広がった。
 

 

 

 
「無理して食べなくてもいいのよ、とりあえず並べただけなんだから。ほら、太っちゃうぞ?」

 連日の激務でさぞかし胃も疲れているだろうと、気遣って、ルイは明るく言い放った。

「って言っても、姉さんは、出されたら残さず食べるひとなのよねえ…。」

 ひとり言のように突っ込みを入れ、ルイは苦笑した。
 ロゼはボツリとつぶやいた。
 
「いのちだから」

 ルイは聞き返した。
 
「え?なんて言ったの、姉さん」

 ロゼは視線をルイに向けると、哀しみの漂うまなざしを穏かな微笑みに変えて言った。
 
「なんでもないわ。ルイ、ごちそうさま」

 窓の外は日が落ちて、帰宅を急ぐバギーや車の交通量が一気に増えていた。

 

  

「今回の改善案で最も訴えたかったのはね」
 
 ロゼは食器を洗いながら、一仕事区切りのついた喜びをルイに語り始めた。
 
「エスパー寮棟そのもののあり方なの。今、彼らは完全に社会から断絶させられてしまい、そのことでますます自信を失い、生きて社会復帰するという希望さえ見失っている。
 
 彼らには自信と役割が必要なの。自分が生き残った意味を、自分の能力の最大の生かし方を、現実から目を背けずに考える、そのことをするためには、まずは、生き残ったことに対する感謝、そして希望が必要よ。
 
 希望は隔離からではなく、むしろ、人のやさしさに触れる経験から生まれるということ。それをわたしは幹部に訴えたかったの」

 大きな瞳で強く何かを見据え、熱っぽく語るロゼを、ルイは感慨深く見つめていた。

(姉さんがこんなふうに生きてくれて嬉しい)

 ロゼの真っ直ぐな想いを支持したい、と、ルイは思った。
 希望、感謝、自信、役割を、生きとし生けるすべてのひとの心に。
 それはロゼ自身が、「生き残ってしまった」自分を責め、悩み苦しみ抜いた体験から来ている想いなのだとルイは理解していた。 

 ルイは、ふと、かつて敵味方に分かれ、ロゼと対峙していた頃のことを思い起こし始めた。

 

  

エピソード1 index エピソード1-2

Index Novels
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送