エピソード1 − 3 ガラスの鳥 ヴァイオリン様
ルイには知りえなかった。 ロゼの改心の半分は無論、「宇宙名マーズ=地球名明神タケル」の生き方、計り知れないやさしさであった。 あの戦いの辛く長い日々を、誰もが必死で生き延びようとする中、一度信じた、或いは巻き込まれ走り始めたら最後、己の信じる道を疑う余裕など誰にも無かった。 「すべてスールの子どもだ、ズール皇帝はわれわれのすべてだ」 現実が恐ろしい、怖いと感じたとき、ロゼが自分に言い聞かす、信念にすがるときの言葉だった。 その中で、唯一、ズール軍の女戦士ロゼは文字通り寸暇を惜しんで幾度となく妹に「レジスタンスを辞めよ」と言葉を尽くした。 故郷を全滅させないために、志願してズール側に傅いた。 しかし、一瞬の心の隙間で、ロゼは妹を想った。 そのロゼの本質を最初に見抜いたのが、苛酷な環境でただひたすらに弟を思い続けた「マーグ」であり、ロゼもまた自分でもほとんど無意識に、信じられぬほどの強さでマーグの身の安全を祈り続けた。 そのマーグが、よりによって、自分の操縦するメカのビームを浴びて死んだのだ。 だけれど、本当に死ぬなんて、思っていなかった。 存在感が大きすぎて、
死の瞬間よりも、ずっと後になればなるほど、その実感は重みを増してゆく。 悔やんでも悔やみきれない後悔は、ボディ・ブローのように何度でもロゼ自身を苦しめた。それは現在でも実は変わっていない。 マーグを愛した弟のタケルに赦され、彼と語らい、やさしさをかけられてから、ロゼは自分の信じ歩んだ道を、勇気を持って見つめ直す。 「マーグ」の死をロゼが大きく悔やめばこそ、ロゼが実感することが出来た、タケルのやさしさの計り知れない大きさだった。 「マーグ」が還らない限り、タケルのやさしさを甘んじて受けることも許されない気がした。
だが、マーグを知らぬルイには、ロゼにとってのマーグの死の大きさを想像することはもはや不可能であった。
「姉さん。カーテン、閉めていいんでしょ?あっ」 「姉さん!姉さん?!」 「救えなかった」 そのとき、窓の外を、救命隊の車両がサイレンの音を響かせて通り過ぎて行った。 「姉さん」 ロゼは、自分の予知能力がもっと早く働いていたら、飛び出していって事故からその子を救おうとしたのに、とでも言いたげであった。 「姉さん…ああ、もう、姉さんったら…姉さんのせいじゃないのよ?見ず知らずのこどもの、姉さんになんの関係もない事故に、そんなに傷つくことないよ!そんなふうに自分を責めるのは止めよう、ね?」 ルイの説得も、ロゼの自責がちな心には、響くことはなかった。 ルイはロゼの肩から手を放し、うつむいて唇を噛んだ。姉の言葉の意味は分かっていた。 ロゼとルイの姉妹がエスパー寮棟を訪れた日、偶然にも、ある元兵士が自殺を図り、二人の目の前で亡くなったのだ。 「気に…気にしすぎよ。姉さんは、忘れる、流すってことを覚えなきゃ。 ロゼは、ルイが明かりを付けた部屋で、ふらりと椅子から立ち上がっていた。 そして吸い込まれるように窓辺へ移動し、カーテンを力なく握ると、夜の始まりの空に独白していた。 「情けない、無力すぎるわ…。とてもマーズに顔向けできない」 ルイの短い絶叫が部屋に反響した。 ロゼは2階の窓から落ち、次の瞬間、肉体に受けた激しい痛みにその美しい顔をゆがめた。
「ごめんね、ルイ。失敗しちゃったわ」 ロゼは幸い、軽い骨折で事無きを得た。医療技術の進んだギシン星では、軽症にも数えられない程の怪我の軽さだった。 「まったくもう!2度とこんな危ないまねをして欲しくないものだわ。 ルイは大袈裟にジェスチャーをしながら軽口を叩いてまくし立てた。 「ルイ」 ロゼの寝室を出てゆこうとする妹の背中に、ロゼは優しく声をかけ、呼び止めた。 「何?」 「いつもありがとう」 ロゼの瞳が揺れていた。 かつて強力な目力を放ったその長い睫は、戦い済んだ今では本来の表情豊かな趣を取り戻していた。 (ほんと、妹の私でも見とれちゃうわ。羨ましいったらありゃしない) 「はいはい、お礼はたっぷり期待してます。では、おやすみなさい」 カチャリとドアが閉まった。
ロゼが耳で聞いた、最後の音であった。
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