エピソード1 − 3 ガラスの鳥

 ヴァイオリン様

 

 

 

 ルイには知りえなかった。
 マーグの死が、姉にとってどれほどの打撃であったのかを。

 ロゼの改心の半分は無論、「宇宙名マーズ=地球名明神タケル」の生き方、計り知れないやさしさであった。
 しかしもう半分を担っていたのが「マーグ」の存在そのものであったと言っても決して過言ではなかったのだが、ルイはそれを知らない。

 あの戦いの辛く長い日々を、誰もが必死で生き延びようとする中、一度信じた、或いは巻き込まれ走り始めたら最後、己の信じる道を疑う余裕など誰にも無かった。
 
 レジスタンスになればレジスタンスとして最後まで生きるか死ぬかしかなかったが、それはズール軍の戦士とあればなおさらのこと、一度入隊すれば日々戦闘教育に浸され、恐ろしい皇帝ズールを裏切る者など一人もなかった。ありえなかった。

「すべてスールの子どもだ、ズール皇帝はわれわれのすべてだ」

 現実が恐ろしい、怖いと感じたとき、ロゼが自分に言い聞かす、信念にすがるときの言葉だった。
 誰もが自分のことで精一杯で、自分の行き方を問うことは勿論、誰か他の者の生き方を変えようと説得するなどという余計な労力は使うことも許されなかった。 

 その中で、唯一、ズール軍の女戦士ロゼは文字通り寸暇を惜しんで幾度となく妹に「レジスタンスを辞めよ」と言葉を尽くした。
 どうしても妹を死なせたくなかった。きつい言葉遣いの中にも、妹に対する愛が根本にあった。

 故郷を全滅させないために、志願してズール側に傅いた。
 それ以降、戦士としての誇り以外、余計なことは何も考えない。
 斬って、叩き潰し、撃つ。何かを「考えたら」そこで負けだった。立ち止まったら終わりだった。

 しかし、一瞬の心の隙間で、ロゼは妹を想った。
 現実を憎む激しさの裏返しのように、ただひたすらに妹の無事を念じ、手紙を書き、妹との会合のチャンスを待った。

 そのロゼの本質を最初に見抜いたのが、苛酷な環境でただひたすらに弟を思い続けた「マーグ」であり、ロゼもまた自分でもほとんど無意識に、信じられぬほどの強さでマーグの身の安全を祈り続けた。
 自分の身がどれほど危険に犯されようとも、マーグのことだけは守ろうと決めていた。

 そのマーグが、よりによって、自分の操縦するメカのビームを浴びて死んだのだ。

 
 儚げな、守りたい対象、特別な存在。
 守ってやらなければ危ない、自分が守ると決めていた。

 だけれど、本当に死ぬなんて、思っていなかった。

 存在感が大きすぎて、
 あのような死と隣り合わせの異常な環境でさえ、マーグがいつか本当にいなくなるとは、想像できなかったのである。

 
 まるでガラスの鳥。
 ガラスの鳥を手のひらに握り締めて敵を倒し逃げ切り、手のひらを開いたときには鳥は自分が握り締めた力によって粉々に壊れてしまっていた。手のひらの血で、真っ赤に染まって。

 

 死の瞬間よりも、ずっと後になればなるほど、その実感は重みを増してゆく。

 悔やんでも悔やみきれない後悔は、ボディ・ブローのように何度でもロゼ自身を苦しめた。それは現在でも実は変わっていない。

 マーグを愛した弟のタケルに赦され、彼と語らい、やさしさをかけられてから、ロゼは自分の信じ歩んだ道を、勇気を持って見つめ直す。
 幾度も死に掛け、幾度も助けられながら、「やさしさこそがつよさ」という真実にたどり着き、100分の1もない可能性、「ズールを倒す」ことに新たに己が生涯を賭ける。

 「マーグ」の死をロゼが大きく悔やめばこそ、ロゼが実感することが出来た、タケルのやさしさの計り知れない大きさだった。
 今もタケルのやさしさを想うたび、ロゼは純粋にそれに感動しつつも、必ず「マーグ」を思い出す。

 「マーグ」が還らない限り、タケルのやさしさを甘んじて受けることも許されない気がした。

 

 だが、マーグを知らぬルイには、ロゼにとってのマーグの死の大きさを想像することはもはや不可能であった。

 

「姉さん。カーテン、閉めていいんでしょ?あっ」
 
 返事をしない姉の様子に、異変を感じてルイが絶句する。
 ロゼは目をかっと見開いて、微動だにせずに椅子に固まっている。

「姉さん!姉さん?!」
 
 ルイはロゼの肩をつかみ、揺さぶった。
 次の瞬間、ロゼが口を開いた。

「救えなかった」
 
「えっ?」

 そのとき、窓の外を、救命隊の車両がサイレンの音を響かせて通り過ぎて行った。

「姉さん」
 
「交通事故よ、即死よ、まだ幼かった!わたしが、わたしがもっと早く予知出来ていたら…!」

 ロゼは、自分の予知能力がもっと早く働いていたら、飛び出していって事故からその子を救おうとしたのに、とでも言いたげであった。

「姉さん…ああ、もう、姉さんったら…姉さんのせいじゃないのよ?見ず知らずのこどもの、姉さんになんの関係もない事故に、そんなに傷つくことないよ!そんなふうに自分を責めるのは止めよう、ね?」

 ルイの説得も、ロゼの自責がちな心には、響くことはなかった。
 ロゼは頭を押さえ眉を潜めた。
 
「救えなかったわ…あの元兵士のことも」

 ルイはロゼの肩から手を放し、うつむいて唇を噛んだ。姉の言葉の意味は分かっていた。

 ロゼとルイの姉妹がエスパー寮棟を訪れた日、偶然にも、ある元兵士が自殺を図り、二人の目の前で亡くなったのだ。
 
 ルイがいくら諦めるように言っても、ロゼは自分の衣が汚れるのも構わず、見ず知らずの元兵士の亡骸を苦しげに抱きしめ続けた。
 震えながら、蒼い頬を寄せ、耳元に何かをつぶやき続けた。
 ルイには、ロゼがなんと呟いているのか、聞き取ることは出来なかった。
 謝っているのかも知れなかった。

「気に…気にしすぎよ。姉さんは、忘れる、流すってことを覚えなきゃ。
 あっ…何、ロゼ、大丈夫?」

 ロゼは、ルイが明かりを付けた部屋で、ふらりと椅子から立ち上がっていた。

 そして吸い込まれるように窓辺へ移動し、カーテンを力なく握ると、夜の始まりの空に独白していた。

「情けない、無力すぎるわ…。とてもマーズに顔向けできない」

 ルイの短い絶叫が部屋に反響した。

 ロゼは2階の窓から落ち、次の瞬間、肉体に受けた激しい痛みにその美しい顔をゆがめた。

 

 

 

 

「ごめんね、ルイ。失敗しちゃったわ」

 ロゼは幸い、軽い骨折で事無きを得た。医療技術の進んだギシン星では、軽症にも数えられない程の怪我の軽さだった。

「まったくもう!2度とこんな危ないまねをして欲しくないものだわ。
 ロゼったら、吸い込まれるみたいに空ばかり見て、もう床がないのに歩き続けて、あっと思ったら握ってたカーテンごと庭に落ちちゃうんだもの。
 変な避難訓練じゃないのよ?
 カーテン、新しいのは姉さんのお給料から買ってね。それとも縫いますか。
 ああ、もう眠い、眠い。お医者から帰ったのが11時だったでしょ、もう明日になっちゃう、お肌の大敵、さあ、寝るわよ、姉さんなんか放っといて寝ちゃいますからね」

 ルイは大袈裟にジェスチャーをしながら軽口を叩いてまくし立てた。
 姉妹は明るく軽く、そしてお互いを労わるように微笑みあった。

「ルイ」

 ロゼの寝室を出てゆこうとする妹の背中に、ロゼは優しく声をかけ、呼び止めた。

「何?」
 
 振り向いた妹にロゼは、伝えきれない思いを言葉に託して言った。

「いつもありがとう」

 ロゼの瞳が揺れていた。
 綺麗だな、とルイは思わずその瞳に引き込まれた。
 
 睫がいいのよね。
 睫が長くてフサフサしてるのよね、と鑑賞した。

 かつて強力な目力を放ったその長い睫は、戦い済んだ今では本来の表情豊かな趣を取り戻していた。

(ほんと、妹の私でも見とれちゃうわ。羨ましいったらありゃしない)
 
 その羨望は、姉の謝辞に対するルイなりの照れ隠しでもあった。

「はいはい、お礼はたっぷり期待してます。では、おやすみなさい」

 カチャリとドアが閉まった。

 

 

 ロゼが耳で聞いた、最後の音であった。

 

 

 

 

 

 

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