amazing grace 3

ゆみ58さま


 

 

 ロゼがようやく喋れるようになったのはそれから数日後のことであった。
 まだ時折酸素吸入をしながらではあったが体力もずいぶん回復したのか起きている時間がほとんど以前と変わらなくなってきていた。
 たまっているであろう仕事の書類をもってきてくれるようにルイに頼んだが、彼女は目をつり上げて却下した。
 
「病人はぼーっとしてなさい!仕事の心配するんだったら早く治して早く復帰しなさい。」
 
 それも一理あるな、と彼女の言葉を思い出してひとり笑みを浮かべる。
 ベッドから病室の窓をのぞくと、晴れた空に雲が様々に形を変えながら漂っている。
 こんな風に雲を眺めることなど何年ぶりだろうか。
 あの時、マーグが私を救ってくれなければ、そしてマーズがここへ連れ戻してくれなければ、私は二度とこの雲を見ることはなかった。
 雲が風にはやく空を流れてゆく。

 
 
 控えめなノックの音がした。
 訪問者が誰であるかはもちろんロゼには分かっていた。
 
「どうぞ、マーズ。」
「ロゼ、具合はどうだい?」
 
 爽やかな笑顔がさらに彼女の気分を軽やかにしてくれる。
 
「ええ。ずいぶんいいみたい。」
 
 彼女は枕元のスイッチを操作して少しだけベッドの背を起こす。
 
 
 
 まだ元通りとはいかないまでも顔色や肌のつやはずいぶんと良くなっている。
 暗い紫色に変わっていた唇も、淡いながらも薔薇色に戻ってきていた。

 
 
 タケルはいつものようにベッド脇の椅子に腰を下ろすとロゼの片手をとった。
 胸部に深い傷を負った彼女にとって、言葉を口にするよりはこうして接触テレパシーを使って会話をした方が断然負担が少ない。

 
 
(ロゼ、ひとつ聞いてもいいかい?)
(ええ、なに?)
(君が意識を取り戻したとき、どうして、ごめんなさいって言ってたんだい?刺された時だって俺の名を呼んだ後、謝っていた?)
(・・・ええ。)
 
 タケルの表情にもテレパシーにも決してロゼを糾弾するような気配はなかった。
 優しく穏やかにロゼを見つめている。
 
(私、避けられたのよ、あの子のナイフ。)
(!?)

 
 
(あの子は私を両親のかたきだと言った。その目が・・・似ていたわ。昔の私に。ズールのバトルマシンとなって反逆者達を片端から制圧しつづけていた頃の私に・・・。相手を殺す、ただそれだけ・・・他の何も映さない。)
(ロゼ、君は・・・)
(・・・聞いてちょうだい、マーズ。私はあの小さな女の子の親を殺したの。直接に手を下したのかどうか、それさえ分からないほど、私は沢山の人々を死に追いやったわ。いくらズールに操られていたとはいえ、私はとっくに何回処刑されていてもよいぐらいよ。けれど、マーグやあなた、そしてギシン星の人々は、私にその罪を生きて償う機会を与えてくれた。)
(そうだ、そうだよ。ロゼ。)
 
 タケルはさらに優しくロゼに語りかける。
 
(でもあの子には違ったの。あの子は私を殺すことだけを生きる糧にしてきたんだわ。あの目を見たとき、私は一瞬だけれども、この哀れな少女の願いを叶えてあげたいと思ってしまったの。その一瞬が防御を遅らせたわ。ナイフをさけるにはあの子を一撃でしとめる余裕しかなかった。)
(・・・。)
 
 タケルは悲しげな表情で彼女を見つめることしかできなかった。
 ロゼは少し微笑んでもう片方の手をゆっくりと彼の頬に伸ばした。

 
 
(マーグに・・・しかられたわ。)
(マーグに?)
 
 タケルは自らの頬をなでる形の良いロゼの手をとり、さらに頬ずりして彼女の言葉の続きを待った。
 
(ええ。それは君の弱さだ、って。君は過去の自分に打ち勝って行かなければいけない、その少女を本当に哀れと思うのならば、なぜ幸福の手の入れ方を教えてやらないのだ、哀れな少女をさらに哀れな人殺しにするのか・・・ってね。)
 
 タケルは大きく肯いた。
 
(それから、マーグはこう言ったわ。こんなことでマーズの手を離してはいけないって。)
(そうだよ、ロゼ。約束したじゃないか。二人で生きるんだ。俺たちはマーグが生きた証なのだから。)
 
 タケルの言葉は、マーグがロゼに諭した言葉とまさに同じであった。
 ロゼの青い瞳に涙が光る。

 
 
(マーズ。ごめんなさい。私は自分に負けてあなたの手を離してしまった。ごめんなさい。)
(ああ。ロゼ。でも、二度と許さないぞ。いや、俺が絶対に離さない。)

 
 
「ええ。マーズ。・・・ええ。」
 
 涙声でこたえるロゼはさすがに少し面やつれしているが、整った顔立ちに変わりはない。
 タケルは彼女を抱きしめたい衝動に駆られたが、彼女の胸に深く残る傷を思いやって、なんとか自分を押しとどめた。
 代わりにいたずらっぽい笑みを浮かべてロゼに尋ねた。
 
「えっと。この患者さんにキスをするにはドクターの許可がいるのかな?」
 
 ロゼはにっこりと笑顔をつくった。
 
「私が特別に許可します。」
 
 彼女が瞳を閉じると、長い下睫に溜まっていた最後の涙の一粒が頬を伝った。

 

 

 

 

 それから一週間ほどでロゼは退院した。
 タケルはロゼを乗せたエアカーを慎重にゆっくりと発進させる。
 
「マーズ、大丈夫よ。もう傷はすっかりいいし、痛みもほとんどないわ。」
「へえ、そうか。よかった。」
「傷跡もね、2,3ヶ月ほどできれいに消えるって。」
「ふうん。」
 
 あれだけの深手を短期間で治癒させるギシン星の医療技術にタケルは舌を巻いた。
 
「まあ、普段見えないところだから良いのだけれどね。」
 
 ロゼは形の良い胸の左のふくらみに細い手をやる。
 タケルはハンドルを握りながらも、つい「普段見えないところ」を想像してしまい、ドキリとする。
 それをごまかすかのようにタケルは話を切り出した。
 
「ロゼ、これからは俺が毎日君の送り迎えをするよ。」
「何を言ってるの、マーズ。もうだいじょうぶだったら。傷ももういいんだし、それに・・・自分の身は自分で守るわ。」
 
 ロゼは固い決意をきっぱりと口にしたが、タケルは引き下がらなかった。
 一瞬の沈黙の後、いたずらっぽくロゼにウインクをしてみせた。
 
「君に悪い虫がついても困るしさ。」
「バカね。」
「ハハハハ!」
 
 タケルは愉快そうに笑い声をあげた。

 
 
 エアカーはロゼの官舎のカーポートに滑り込んだ。
 
「一瞬でも多く君の側にいたい。こういう理由だったら俺を送迎係にしてくれる?」
 
 ロゼはくすくすと笑う。
 
「本当に?・・・それなら、そうね。お願いしようかしら。」

 
 
 ロゼにとって人に頼るということは慣れないことであった。
 男女の区別なく、いや大の男を超える仕事と努力を常に自分に課してきた彼女にとって、女性としての弱さを男性に見せるなどということは、罪悪に等しいと考えてきた。
 その頑なな考えを変え、女性としての新しい生き方を教えてくれたのはマーズだった。

 
 
 男女の恋愛というものは、互いの弱さをさらけ出して、そこから二人の関係を作ってゆくものではないかと今は思っている。
 頼り頼られることは、恋愛において一つの喜びでさえあると気づいたのである。

 

 

 

 

 約束の夕食は数週間遅れで二人の前に並んでいた。
 
「おいしい。」
「私の腕前もなかなか上がったかしら?」
「ああ。とっても。」
「なにしろルイの特訓を受けてるんだから。彼女に言わせると私はまだ職員食堂レベルらしいけど?」
「そんなことはないさ。ほんとうにうまいよ。」
 
 ロゼはハーブオイル和えのサラダをタケルの皿に取り分けながら顔をほころばせる。
 
「明神夫人のお料理で舌が肥えてるあなたにそう言ってもらえると、お世辞でもうれしいわ。」
 
 和やかに二人だけの食事は進んでいった。
 まだ若いタケルの食べっぷりは爽快といってもよいほどで、それは料理を作った者へのなによりの報酬だった。

 
 
 食べ終わった食器をディッシュウォッシャーに入れながらロゼはタケルに語り始めた。
 
「ねえ、私やりたい仕事がひとつできたの。」
「へえ。どんな?」
 
 タケルはダイニングセットの椅子の背もたれを抱え込むように逆さに腰掛けて、キッチンに立つロゼの後ろ姿をぼんやりと眺めている。
 
「学校をね、創りたいの。戦災孤児のための学校。」
 
 振り返ったロゼの瞳は強い輝きをたたえていた。
 
「ううん、戦災孤児に限る必要はないんだわ。そういった施設は今もあるのよ。だけど、最低限の義務教育を終える年齢になれば退所して自活しなければいけないの。奨学金制度もあるにはあるけど、食べていくのが先ってかんじであまり利用されていのが現状よ。路上生活をして犯罪に手を染めていく子も少なくないわ。」
 ロゼは後片づけの手を止めたまま熱く語りつづけた。
 
「そういう子ども達にこそ、充分な高等教育や職業訓練が必要なのよ。幸せに生きていく力をつけるために・・・。自分の生き方をしっかりと見つめるためにね。そこで学んだ子どもたちがそれを誇りにできるような、そんな学校ができればいいと思っているのよ。」
 
 タケルは優しく微笑みながら肯いた。
 
「ああ。素晴らしい考えだ。母さんは、地球の母さんはいつも言ってた。人間は悲しみや苦しみを知ればそれだけ強くなれるし、ひとに優しくなれるんだって。そういう過酷な経験をしてきた子ども達を支えてあげれば、きっと立派な大人になれるさ。」
「ええ。それでね、私、あの子を告訴しないことにしてるの。もちろん無罪放免というわけにはいかないのだけれどね。あの子にはその学校に入ってもらいたいの。せめてこれからは幸せになっていってほしいの。」
 
 あの子、とはもちろんロゼを刺した少女のことだ。

 
 
 つい数週間前に生死の境をさまよっていたロゼは、もう新たな目標に向かって歩き出している。
 今でさえ多忙なスケジュールをさらにきりつめて、彼女は明日からでもこの提案を議会に通すべく身を粉にして働くのだろう。
 夢と理想と強固な意志を表すように彼女の青い瞳はきらきらと美しく煌めいていた。

 
 
 タケルはまた一段と彼女に愛を感じずにはいられなかった。
 これ以上ないぐらい好きだって思ってたんだけどな・・・。
 自分でも不思議に思えるほどに彼女への愛しさがつのっていく。
 タケルは椅子から立ち上がるとロゼの体を優しく包み込んだ。
 
「またデートの時間が減るじゃないか。」
 
 ロゼはタケルの胸に頭をもたせかけるとクスクスと笑った。
 
「ごめんなさいね。マーズ。」
 
 彼はしばし無言でいた。
 ロゼが怪訝そうにタケルの顔を見上げたとたん、彼は彼女の耳元に甘く囁きかけた。
 
「じゃあ、今日は朝まで帰さないからな。」

 

 

 

 

 タケルはロゼの傷にそっと指で触れた。
 雪のように白い肌に残る濃いピンク色の傷あとが、夜目にも一層痛々しい。
 
「痛くない?」
「ええ。」
 
 今度はそっとそこに口づけて、また彼女の顔をうかがう。
 
「大丈夫よ。」 
 
 タケルはロゼの右側に体を横たえた。
 頬杖をついて彼女の穏やかな笑顔に微笑み返す。
 手を伸ばして緑の艶やかな髪を指に絡めると、彼女は心地よさそうに目を閉じて呟いた。
 
「幸せ・・・。」
 
 傷に体重がかからないように慎重に気遣いながら、タケルはゆっくりと彼女に覆い被さった。
「もっともっと幸せになろう、幸せにならなくちゃいけないんだ。俺たちも、生きている人たちはみんな・・・。そのためにマーグは君を俺のところにかえしてくれたんだ。」
「・・・そうね・・・。」
 
 ロゼの白く華奢な首筋をタケルの唇が這っていく。
 鎖骨へ、また傷あとに、そして・・・。

 
 
 静かな夜の空気に庭の虫の音が大きく響いている。

 
 
 恋人達の甘い吐息を隠すかのように・・・。

 

 

 

 

Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wreck like me
I once was lost but now I'm found
Was blind but now I see

 

 

end


ギシン星に赴任して1年後、タケルとロゼはらぶらぶな毎日を送っておりました。
 
そうそう、こういう幸せそうなふたりを見たかったのです!
今回はちょっと大変なことになってしまいましたが、
終わりよければ全て良し!でしょうか。

ゆみさん、ありがとうございました。
順調なペースで創作を続けておられます。
もうすでに次のお話も読ませて下さいました。
こちらのアップは今しばらくお待ち下さいませ。
 
2002.7.5 きり
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