エピソード1 − 4 上がって来ないで ヴァイオリン様
ロゼは異常に寝苦しかった。初夏と呼ぶにも少し早すぎる季節であるのに、なにか喉の渇きと背中にのしかかるような不快感に悩まされた。 (怪我をした肘のせいかしら…体に熱がこもっているのかも知れない) 自分で氷を取りに行こうと、身を起こしてロゼは絶句した。 部屋に誰かがいる―――? それは異様な暗さと威圧感を放ち、ブラックホールのようであって人間のようでない、だが宇宙の闇のごとき黒いマントを怪しげに揺らし、甲冑で固め一切の皮膚を隠したその姿は――― ズールがそこにいた――――!!
わなわなと体が震えだすのを止めることが出来ない。 わたしはこれほどまでに弱虫だったか?誇り高き戦士であったはずのわたしが、今はただの腰抜けか。本当に、本当に、力が入らない…! 恐怖と、情けなさ、自己嫌悪、弱弱しい涙が滲んで、諦めてしまいそうになる。 こんなのわたしじゃない、ここで諦めてしまっては、それこそマーズに顔向け出来ないのに…!! ロゼは心の中で早くも号泣していた。自分が情けない、ゆるせない…。 ズールは厭らしい笑い声とともにロゼを背後から抱き寄せた。 「ええい、離せ!」 一瞬の隙をついてロゼはズールの腕をすり抜け、テレポートして戦闘態勢を取った。 「ズール!何故いまさら現れる?!お前はあの日、マーズの反陽子エネルギーに倒れ宇宙に散ったはずだ!」 腹に力を入れ、怒鳴ることが出来た。 そうだ。やれば出来る、わたしはまだ自分を捨ててはいない。いつだって、諦めずにやれば出来るのだ…! ズールは豪快に笑い、「あれを見よ」と指差した。
そこには、かつての自分がいた。 「わしは時間をも支配することが可能なのだ」 「?!」 「お前に過去をもういちど与えてやろう。だがお前は事実を変更できぬ。過去をそのまま繰り返すのみだ」 「!!」 「さあ、すきな時間に戻してやるぞ。いつがいい。非武装の市民を巻き込んだ祭りの日が良いか、それともお前のすきなマーグが死ぬ日が良かろうか?」 「そんな…っ」 ズールは笑い、思念波らしきものを送ってきた。 (マーズなら) ロゼは心で叫んだ。 (マーズなら、こんなとき、絶対に諦めたりしない!) ロゼは声の限りに叫んだ。 「負けるものか!過去の過ちを繰りかえすなどと! ズールは容赦なく、祭りの日の記憶とマーグの絶命の記憶のイメージを、ロゼの前で繰り広げた。 赤い火。誇らしげに踊る農夫たち。冗談を飛ばしあう商人たち。爆撃開始。逃げ惑う人々。子どもの声。犬の声。 クレバス。弟を抱きしめる兄。ビーム砲。完全に間に合わない「STOP」の指示。 (上がって来ないで) 現実で体験したときより遥かにゆっくりと、映画のスローモーションのように静かに、マーグが自らの体をビーム砲の出口へと差しかける。 (そこに来ないで…!) (わたしを見ないで…!!) (話しかけないで!!) (早く逃げて…) 「マーグ!マーグ!」 ロゼの哀しい絶叫は、魂をも揺さぶるようであった。
(…遠くに行かないで…)
「マーグ!マーグ!」 「姉さん!姉さん!」 ルイに揺り起こされて、ロゼはベッドからガバッと起き上がった。 夢だった。 あのズールの悪夢は、本当にただの、ロゼの夢だったのである。 哀しみがすべてを覆って、悪夢を断ち切ってくれたのだと思った。 あれだけの激しい恐怖で覚めなかった夢が、それをしのぐ、さらに大きな哀しみの感情の爆発により、終わったのである。
マーグに会えないことが淋しい。 ロゼは膝を抱え泣き続けていた。 ルイは言葉を失っていた。
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